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プロの書店員


かなり前の話だが、本を注文するためにジュンク堂三宮店のカウンターに行った。
まだ地下に売り場があった頃だから、もう随分昔の話か。15年くらい前かもしれない。

書名、著者、出版社を書いたメモを持っていたのだけれど、カウンターの女性の店員さんが「どんな本ですか?」と聞くので、ついメモを見せる前に口で簡単に書名を喋った。
「エリザベス・スティーブンソンって人の本で、ラフカディオ・ハーンの評伝なんですが。ええと、出版社がコウブンシャ」
僕がメモを渡す前にその女性の店員さんは手元のメモにサラサラと、
「スティーブンソン、ハーン、恒文社」
とメモをとり「一応在庫を確認します」と一直線に、ためらいもせず、僕がもといた方向へ歩いていった。

その前に僕はちゃんとその本があるべき書棚に行って、ないことを確認しているのだが、どうせ「なかったですよ」と告げてもその店員さんは確認しに行くだろうし、もしかしたら僕が見落としている場合もある。
そのままその店員さんが帰ってくるのを待った。

しかし、この時点でもう僕は猛烈に感動しているのである。
ラフカディオ・ハーンの本が広いジュンク堂の中のどの書棚にあるかくらいは店員なんだから知ってておかしくない。そこへ一直線に歩いて行ったことくらい、不思議でもなんでもないだろう。しかし僕が口伝えで言った「コウブンシャ」を、彼女は「光文社」と書かずに、「恒文社」と正しく、しかも瞬時にメモったのだ。

普通「コウブンシャ」といえば光文社だろう。出版社の規模として、光文社は恒文社と比較にならないくらい大きい。
しかしラフカディオ・ハーンの本を多く出版している「コウブンシャ」は「恒文社」なのである。あの店員さんの頭の中にはちゃんと
「コウブンシャには光文社と恒文社がある」
「ハーンの本を出しているのは恒文社である」
という知識があって、僕のような客の突然の質問に、正確にその知識を動員しているわけである。

実はジュンク堂に来る前に、すでにもう一軒の本屋に寄ってきたあとだったのだ。
そのS書店はジュンク堂の近所に同規模、もしかしたらもっと広い売り場面積で華々しく開店し、なんでも「どんな本を読んだらいいかお薦めしてくれる相談員がいる」とか、強力な検索システムがあるとか、そういうことを売り文句にしていた。強力な検索システム、なんていうから、本を注文しても届くのが早いんじゃないかと、勝手に想像したわけ。

ところが検索カウンターへ行くと、五十年配のおじさん店員がぽつんと所在なげに座っていて、僕が差し出した「E.スティーブンソン、評伝ラフカディオ・ハーン、恒文社」のメモを見て、右往左往しながらキーボードに入力するのだが、慣れてないせいですぐにミスタッチして、いつまでたっても検索が始まらない。あげくの果てに「恒文社」で検索しようとして「光文社」を出してしまい、数百冊の検索結果にただ呆然とするばかり。
「もういいです」メモをふんだくって、僕はS書店を出、ジュンクに向かい、話は冒頭に戻る。

おじさんのパソコン不慣れを責めているのではない。あのおじさんがあのカウンターに座っているのが間違いなので、もしかしたら慣れた人が昼ご飯でも食べに行っていて、おじさんはピンチヒッターだったのかもしれない。しかしそれだけ手薄で「強力な検索システム」なんて誇ってていいのか、という話である。ええかっこすんな、と。それだけのこと。
華々しい売り文句に対するギャップの大きさに腹を立ててしまっただけなのだが、書店がしてもいい「ええかっこ」とは何か、と思わず考え込んでしまったのだ。

かっこいい書店って何だろうかと考えたときに、そんな見かけ倒しのサービスなんかどうでもいい、ということなのだ。
一瞬で光文社と恒文社を区別し、的確にハーンの書棚に直進していったあの女性店員さん。あれがプロの書店員というものだろう。光文社と恒文社を区別した、という事実のみでそう判断するのではない。あれは絶対に丸暗記の結果の知識ではない。全身から「本が好きで好きで仕方がない」というオーラが出まくっていた。好きで好きで仕方ない結果の知識のはずだ。だからかっこいいのだ。

後日仲良くなったジュンク堂の別店舗のスタッフにその話をしたら、「ああ、多分○○さんだと思う」とすぐに答えが返ってきた。さすがにジュンク堂の中でもとびきり優秀な人だったわけだ。その仲良くなった店員さんも、その○○さんに仕事を教えてもらい、書店員のプロとして○○さんを一番尊敬しているのだと言った。
そういうオーラは周囲の店員さんにも伝染していく。

のちにジュンクの大阪本店が出来たばかりのとき、まだ慣れていないスタッフが多いと思われる中、同じようにとある本の注文をカウンターでしたら、若い女性店員が「一応在庫を調べて参ります」と出て行って、10分も20分も帰ってこない。
いい加減待ちくたびれて多少腹が立ってきたが、しかしくそ真面目に棚の端から端まで本を探している姿を見たら、なんか許せる気になってきた。
融通がきかないくらいくそ真面目な彼女が、もしかしたら数年後、○○さんのような凄い書店員になるかもしれない。もう数年前の話だから、すでに凄い店員に育ってたりして。顔覚えてないけれど。

少ないサンプル数で統計的にはまったく有意ではないかもしれないが、こういう経験は忘れられない印象を刻むものである。A屋にもK屋にもB1屋にもそういうかっこいい書店員がいるのかもしれない。が、その○○さんに敬意を表して、大きな声で言わせていただきたい。
やっぱり本屋はジュンク堂だねっ!

(シミルボン 2016.9)

E.スティーブンスン
『評伝ラフカディオ・ハーン』
恒文社

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