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坂口安吾を読む


坂口安吾を久しぶりに引っ張り出して読む。
高校生の時にどっぷり嵌った。当時買った角川文庫のシリーズが今でも家にあるが、カバーも中身もボロボロである。相当読み込んでいる感じ。

その後講談社から出ていた『坂口安吾選集』というのを全巻揃いで買った。
さすがに学生の身分で『定本坂口安吾全集』(冬樹社)までは金銭的に追いつかなかったようで、残念ながら『選集』なのだが、これだって12巻あるし、古本だがたしか2万円以上したはずである。学生時代の2万円は相当な大金だが、あの頃は「飯を抜いてでも好きなものを買う!」という心意気が通用した。

大学は1年ちょっとで行かなくなってしまったのだが、大学図書館に出入りする身分を確保するためだけに「退学」ではなく「休学」にした。
講義には1つも出ないくせに、たまに大学図書館にはいるもんだから、僕が休学していることを知らない人も多かったかもしれない。
まぁそんなことも長くは続けられないから結局1年後には退学したんだけど。

あの頃って、本当に浴びるように本を読んでいたな。バイトしたお金は劇団の活動費と本だけに消えていた。飯は飲食店(カンテG)で働いていたから食えたし、服もカンテが当時やってたNPという服屋で社販で買うから安い。
タバコを買うお金がなかったから、最初の半月は普通にタバコを吸い、月の後半はその吸い殻を缶にためていたものを土産物屋で買った安いキセルに詰めて吸った。

冗談じゃなく本当にお金がなくて、当時履いていた靴の底が破れて穴が開いていたのをガムテープでぐるぐる巻いて履いていた。その当時つきあい始めた彼女がいて、まぁ今の配偶者なんだけど、今でもあのガムテープで補修した靴が忘れられないらしい。
「こんなビンボーな人はじめて見た」

こんなに貧乏なのに、本だけは月に数万円単位で買うのだ。いや、言い方を間違えた。こんなに本を買うから貧乏なのだ。
当時住んでいた淀川区の古い1Kのアパートの四畳半、部屋の真ん中に布団を敷き、出入り口と押し入れのある一方を除いて、三方すべて本が積んであった。

浴びるように本を読む、なんて今の生活じゃなかなかできないものね。貧乏はしたけど僕の人生の中では必要な時期だったろうと思う。
坂口安吾はそんな時期に読み込んでいた人である。

もう、いいとか悪いとか、そういう評価軸にはないな、坂口安吾って。
読み直してみると『安吾史譚』なんか相当にいいかげんな殴り書きだ。酔っぱらって殴り書きして推敲もしてないんだろう、と奥野健男が定本全集の解説で書いていた。多分そうなんだろうな。
小説も、けっこうひどいのがある。かと思うと唸るほど美しいものもあり、品質のバラツキが凄まじい。
でも、良いのも悪いのも、とにかく読み倒した。
僕の読書狂時代の、まさに土に鍬を入れまくっていた時代に読み込んだ人なので、今どんなつまらない失敗作を読んでも、その開墾の一鍬一鍬が思い出されて懐かしく嬉しい。

今は『安吾新日本地理』と、『いずこへ』『白痴』などが入った文庫の短編集をバラバラにあっち読みこっち読みして楽しんでいる。
昼飯を抜いて、大学の学食前で知り合いを見つけては貰いタバコをしてタバコ代を浮かし、無理矢理作った金を持ってかっぱ横丁の加藤京文堂で安吾選集を買った日のことは今でも覚えている。
こういうビンボーというのは、やってる本人は苦でも何でもないものだ。

岩波文庫
坂口安吾『桜の森の満開の下・白痴 他十二篇』

(シミルボン 2016.9)


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