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【810】caecitas capacitas est

知的態度として或る種盲目であることは、受容力(capacitas)を持つことでもあります。あるいは受容力を持つような意味における盲目さであれば、仮想的に持とうとしてみてもよさそうなものだと感じられるものです。

変に目が開かれていると、目の前のものの欠点が手に入ります。良いものももちろん目に入るにせよ、様々に欠点が目に入り、「とりあえず受け容れる」ということが妨げられます。

これに対して、触覚のよいところは、ごく狭い範囲のものしかとらえることができないという点です。あるいは(人間の)嗅覚のよいところは、出どころをごく曖昧にしかつきとめられないということです。

そして、盲目であると、一意専心することが難しくなります。そうする能力が、capacityが落ちます。視界は広く、何かに集中しようとしてもチラチラと視界にいろいろはいってきます。目など潰したほうがよいというケースすらあるでしょう。

実に盲目であるということは単なる欠陥ではありますが、受容力があるということでもあり、それゆえに盲目さを仮想的に走らせてみる、ということにはそれなりの価値があることでしょう。


なお以上は、「盲目な非専門家だからこそ(専門家には言えない何かを)言えることがある」という馬鹿げた主張をまったく含意しません。非専門家は単に沈黙すべきです。