定冠詞を伴わない最上級表現【フランス語の方へ:4】

フランス語も英語と同じく、ふつうは最上級表現を行うときに定冠詞を伴います。定冠詞の位置付けはふたつの言語の間では随分異なりますが、強い限定がかかるときに定冠詞が伴われるというのは共通しており、そのひとつが最上級表現だということです。

しかし例外もあり、ce que [...] de plus+形容詞という形式は、定冠詞を持ちませんが、実質上の最上級表現です。

言われなければ、教えられなければ気づきづらい面もあるので、例文とともに確認しておいて良いでしょう。

たとえば『ロワイヤル仏中和』であれば、plus, B4に、ce que... de plus+adj.で「最も…なこと[もの]」という意味だ、という説明があり、ご丁寧に「定冠詞をとらない」とあります。

例文としては、ce que j’ai de plus précieux au monde「私がこの世で持っている最も大切なもの」というものと、C’est tout ce qu’il y a de plus drôle「それは滑稽極まる」というものが与えられています。

同じくフランス語文法書のド定番である朝倉の『新フランス語文法辞典』だと、p.398(plus, I, 11)にce que... de plus +形というかたちが紹介されており、やはり最上級であるとの説明があります。

こちらで引かれている例文は、マルグリット・デュラスのL’Amantからのものです(映画化もされていますし、有名ですね)。On dit souvent que c’est ce que j’ai de plus beau.「それは私が持っている一番美しいものだとよく言われます」という例文です。


以下の文を、辞書や文法書を引きながら訳してみてください。あるいは時間がなければ、せめて構造(や語彙)は確実に理解できた、と言えるレヴェルで読んでみてください。(何でもそうだと思いますが)外国語は、自分で気を入れて格闘してみなければ決して身につきませんし、どのようなレヴェルになってもそうだと思います。


Et de même que vos grands seigneurs d’autrefois préféraint aux vases d’or et de cristal une simple écuelle de terre mais à quoi le potier avait su communiquer le moelleux de la chair et l’éclat de la rosée, ainsi pour exprimer l’éternel ces grands artistes, qui souvent étaient des prêtres, n’ont pas peint seulement des symboles et des dieux, mais précisément ce qu’il y a de plus fragile et de plus éphémère, de plus frais encore du frisson de la source ineffable.

Paul Claudel, « Un regard sur l’âme japonaise » in Œuvres en prose, « Bibliothèque de la pléiade », Paris, Gallimard, 1965, p.1129.


参考訳:あなたがたの国(=日本)のかつての偉大な貴族たちは、黄金や水晶でできた壷よりも、素朴な陶器の皿を好みました。陶工は、肉の柔らかさと露の輝きをこの皿へと移し与える術を身につけていました。こうした偉大な貴族たちと同様に、永遠なるものを表現するために、しばしば祭祀をつかさどった偉大な芸術家たちは、象徴や神々のみならず、まさしく、名状しがたい源泉から発せられる震えの、最も脆く、最も儚く、さらには最も瑞々しい部分を描いたのです。

全体としては、de même que...とainsiが相関しています。vos grands seigneurs d’autrefoisと、ces grands artistesが、何らかの意味で同様だと言われているわけですね。

これは駐日フランス大使であった(そして詩人・劇作家としても知られる)ポール・クローデルが日光で行った講演の一部ですが、喋っていると特に複雑な文法構造は伝わりにくいので、分かりやすくするためにainsiを入れている、と言えるかもしれません。

ainsiはなくてもよいのですが、de même que...という従属節が終わる箇所・主節が始まる箇所を明示する機能を持っているわけです。たとえば、if SV, then SVという構造は英語でもよくあり、こちらでもthenは不可欠ではありません。

問題となる最上級表現は文末のce que以下の名詞句にあります。de+形容詞は3つ現れていますね。このce que [...]についてはdu frisson de la source ineffableという限定が付されているわけですね。

■【語彙等】
・préféraint [...]
préférer à A B=préférer B à A「AよりもBを好む」であり、仏語では寧ろ前者の語順が好まれる(経験則)。今回は特に、Bにあたるものが関係詞節を伴っていて長いので、順当に後置することになる。

・mais à quoi le potier avait su communiquer le moelleux de la chair et l’éclat de la rosée
ここでcommuniquerは「(分け)与える、渡す、伝えるう」くらいの意味でとっている。現代では普通、他動詞communiquerは伝達される情報を直接目的格補語(英語で言えば目的語)ととり、その受け手を間接補語(英語なら間接目的語)とする。とはいえここでは、ainsi以下からもわかるように、作品とそれに付与される性質が問題になっており、quoiの先行詞は une simple écuelle de terreである。à quoiの前にmaisが置かれているのは、直前で「素朴」とされていることに対して、素朴ではあるけれども、他方では(繊細さを感じさせる)「肉の柔らかさと露の輝き」を与えられている、と言うためだと考えられる。なおmoelleuxは発音に注意。

・qui souvent étaient des prêtres
prêtre(s)は仏語では(カトリックの)司祭や(新教諸派の)牧師を指しうるが、当然こうした日本の文脈に適合しないので、「祭祀を司る者」として理解して訳した。


・ce que [...] de plus+形容詞という形式は、定冠詞を持たないが、実質上の最上級表現である。