歌集出版のおおまかな流れ~2015白川ユウコの場合


2015年08月25日15:47 


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第二歌集ができました!


2014年の年末あたりに思い立ち、所属している結社コスモスの事務所に電話。「白川です。歌集出したい」というと、事務局某氏「ユウコりん出しなよ。選歌する人と出版社とタイトルの三つを決めて知らせて」「えっ、どうしよう」「こっちから紹介はできないことになってるから、好きに決めて連絡して。そのうえでいいとかだめとか言うから」うわあああ!


地元の鷲巣錦司先生に電話。「選者は僕じゃだめだよー。結社自体の選者クラスじゃなきゃ」ええええ!「じゃあ、大松達知さんとかは…」「いいね!彼、つい昨日、若山牧水賞とったよ!ちょうどいいタイミングだよ!」まじすかあああ!
噂の牧水賞受賞者・大松達知氏にお手紙をしたためた私。そしてお返事。ご快諾。ありがとうございます!さあ始まりました歌集製作!

これから歌集の出版を考えている方々のご参考にもなると思い、大筋の流れをここに記録しておきます。

2014年11月 選者決定。

①どんな本にしたいのか?→300~400首ぐらい、1998~2013年までの独身時代をまとめたい。

②出版社の宛ては?→なし。「六花書林なら紹介できますよ」じゃあそこで。

③いつごろ刊行したいのか?→2016年に40歳になってしまうのでその前に→じゃあそうしましょう。

2014年12月 今までの作品を収集。結社誌『コスモス』に載ったもの、サル短に出したもの、過去の賞の応募作、ホチキス歌集やフリーペーパーに書いたものをパソコン入力。700首ぐらいに絞る→「多いですね。白川さん自身の版を作るつもりで400首ぐらいにまとめてください」

2015年1月 400首ぐらいにまとめはじめる。

2015年2月 なんとかできる。内容、装丁のイメージをつくる。

2015年3月8日、横浜での友人の結婚式に出席し、9日に東京・大塚にて、大松達知氏、六花書林の宇田川寛之氏と打ち合わせ。デザインのスケッチを持参した。割付、体裁を決める。章立てを小分けにする、詞書(小さい文字での説明文)を多用してもよい、一歩引いたり具体性を出したりしてわかりやすく、というアドバイスをいただく。

2015年4月 大松さんとやりとりしながら原稿を作っていく。

2015年5月 7日、データ入稿。21日、初校来る。見積もりも。

2015年6月 見直し、大松さんからの指摘、推敲を加えて、20日、初校戻す。あとがき、プロフィール、タイトルも提出。24日、再校、ラフデザイン来る。装丁家は真田幸治氏。決定稿入稿。

2015年7月 大松さんから帯文をいただく。4日、デザイン決定。製本に入る。

2015年7月 30日、完成。製本所から出版社に入荷。大塚集合。大松さん、宇田川さんと日本酒のおいしい「みや穂」にて祝杯。「夏にごり 一喜」うまし。
浜松行きの最終の新幹線を逃し、夫に電話すると、「実家に泊まってきなよ」といってくれて、最終の静岡止まりに乗車。実家の両親に一番に寄贈することができた。お仏壇に献上。
31日、浜松に帰宅。晩御飯はうなぎと地酒「出世城」で乾杯。

このような流れでした。たいへんスムーズだったので、これは良いご縁に恵まれて出来た本だと思います。結婚もそうだったけど、うまくいくときはとんとん拍子。うまくないときには、かならずなんかケチがつきます。神様っているような気がする。実家の母も、「ふたつケチがついたらそれはやめたほうがいい」といいます。横浜の友人にそれを言ったら、「そうだよ!東京オリンピックまずいよ!」

そんなこころがけも含めて、何かのお役に立てばいいなと思います。
おわり。

※mixi日記から再掲しました。2020年、歌集出版を考えている方、ご参考までに!








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