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苦痛の夜の飲み物

昨年、仕事上の問題で鬱々と思い悩んでいた頃に、何かできることから現状を打破したいものだと思い、短編を書いてある賞に応募したことがある。出来栄えは正直関心がなく…、というか、書いた・書き終えたということで感情的な滞りがほとんど昇華できてしまったのだ。それによって成果物に一切の関心を持つことができなかった。通り過ぎた過去として振り返ることすら面倒に思えた。

このことはわたしに二つの重要なことを教えた。

ひとつには、自分の軸足をたくさん拡げないことには、過度な思い入れが一か所に集中することで、結局悩みを連れてくるのだということ。簡単にいえば思い悩むほど執着しないこと。思い悩むほど時間を持て余さないこと。忙しく、できるだけ忙しくしてさらさらさらさらと何もかも流していく。それによって川に流れが生まれて淀みが生まれなくなる。

そして、心を捕らえてしまっている過去があるのなら、一度首っ引きでそれを活字に再現していくことで昇華が起きるということ。これがもうひとつ。ときに並行宇宙という概念があるが、時間の流れは直線ではないということを仮説とすると、過去のあの物語をまだ生きている自己というか現実世界というものが、同時に出現しているはずで、現在の自分が当時の結末に不完全燃焼であるのなら、完全燃焼できるように努力してみる、ということに近い。

不思議と、そうすることで現実は微々たるものだが動きだす気がする。変化するのだ。ちょうど川の流れのなかに滞っていた滓が解放されてもう一度水の動きに溶けていくようにして。

時にこうした本当に意味のない駄文を書いて、仕事にとりかかる準備運動をしている。今夜などは、何時に床に就けるかまったくわからないので今の心境としてはとっても憂鬱、苦痛だ。ポットに並々とつくった珈琲と共に夜が更けていく。

photo by markus spiske

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