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4月の風物詩が消えた都市

今年の4月は、あのうんざりする光景が見られなかったことでかえってそれを恋しく思うことになった。往来や電車にあふれる、いかにも着慣れないスーツをまとった新社会人たちの群れだ。かつて自分自身もその当事者だったわけなので、「うんざり」なんて言葉を使うことをどうか許してほしいのだけれど、実際道いっぱいに並んで歩きながら、おそらくは今日初めて知った社会の片りんを、会社というものの在り方を、興奮して話しながら歩く彼らには、往来で人の流れをさまたげていることへの配慮など望むべくもない。

だって仕方ないのだ。見るものすべてに興奮し、慣れない生活の始まりに上ずっているのだもの。スーツに着られているかのような、いまだあどけなさの残るその無邪気な顔を見るともちろん許すしかなくなってしまう。同様にして通勤列車だ。一気にラッシュ時の苦痛が増す。これは仕方ない、ところてん式に押し出されて通勤人数が増えているのだもの。けれどそんなわけで、5月の連休が終わるあたりまで毎年、朝のラッシュは激化するし、夕方の往来は横並びの隊列が続く。

今年においてはそれがないのだ。見ないし、自分もそのなかにいない。参加していないのだ。毎年繰り返されたその物語に。そのことにはっとするとなんだか空恐ろしい気がした。改めて「異常事態」に生きているんだな、今、と思わずにいられなかった。

当たり前のようにしてきたすべてのことが、実は小さい奇跡だったことに気づく。繰り返されるごく普通の営みが、かけがえのない瞬間であったことを知る。1年でもっとも美しいまばゆい季節が、こうして過ぎ去っていくのを見送るしかない。若葉が萌え、はっとさせられるような鮮烈な緑色を目にすると否が応でも瞬間という生に畏敬を覚えるほかない。

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