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カサノハナ、サク

執務スペースとして利用している某所は、あるタワービルのなかに収容されている。そのビルはショッピングエリアが内包されており、区画一体をひとつの街のようにとらえたことで登場時はセンセーショナルに受け入れられた。わたしはフリーランスなのだが、比較的いろんなところで打ち合わせをするために、とりたててオフィスを持たずともお客さんのところを転々とする日々には、必ずしも必須というわけではない。しかし、拠点をもっておくことは便利であるに違いないので、素晴らしい眺望が気に入ってここを利用している。

時折、煮詰まってふうふうと沸騰した脳みそを冷やすために、あるいは店舗のアイドルタイムを狙いすましてお洋服を見に行ったりするために、ショッピングエリアをそぞろ歩くことがある。そのなかでも、もうずっとわたしの後ろ髪を引く存在なのが傘のお店だ。

いつか突然の雨に降られ、駆け込んだコンビニで買った真っ黒のジャンプ傘を今も使用しているが、ただでさえ心が沈みがちな雨の日に開く傘が真っ黒とあって、この傘を見るたびに憂鬱な心持ちになる。この傘専門店では、まるでアートのような品が並び、その様子はまさに花が咲いたように華やかなのだ。そしてどうやら、柄などカスタムができるようで贈り物としての人気もすこぶる高いようである。

ここのお店の前を通るとき、内心の魅せられた吸引力を否定するかのようにあえて早足で駆け抜けてしまう。ここで店員さんに声をかけられたら、立ち止まることなどきっとできないに違いない。そしておそらくは、わたしがこれまで傘一本に費やしてきた金額の数倍はするだろう現実を、今はまだ直視したくないという気持ちがある…。

でも、今日のような今にも空が泣き出しそうな日には、ほとんどうっとりと羨望のまなざしであの傘屋の前を通る。ぽん、と開いた途端に眼前に展開されるおとぎ話のような美しさを夢想して、今日も足早にそこを通り抜けるのだった。

photo by Jonathan Kos-Read

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