旧交
大企業を辞めて、ワインディングロードをよたよた歩いている人生になったとき、かつての職場の人たちには仕事でのお願いごとをしないようにしようと決めた。みんないいひとたちばかりだから、きっと胡散臭いと感じるお願いごとだったとしても、無理になんとかしてくれてしまうだろうと思った。胡散臭いことをやるつもりは一切なかったけれど、彼らとは常に公平で同じ土俵の上に生きたいと思ったからだ。でも、そんなふうにしているうちに連絡を取るきっかけも減って、10年もたてばほとんど交友は消えていく。
そんなときになんと、思いもしない大きな病気になった。人生ってわからないものだ。フリーランスでその疾患をわずらっていることが知れれば、もう次の仕事はこない。「イコール死」で名前とセットで語られてしまうからだ。それなので、当時自分が連絡した極めて少数の人はみんなかつての職場の人だった。みんなといっても、正確には一人の上司に連絡したら周辺の仲間に知らされていた。もう一人は先輩で、年こそ15以上離れているものの、ウマがあってよく休日も共に遊びに行った女性だ。
一応「寛解」と言われてから今年6年目となった。爾来、途絶えていた交友が復活して6年になる。病気になったという連絡を契機に、また集まれるようになるとは面白いものだ。今年も最後に忘年会ランチをしたのは、その先輩で、ちょうど昨年の年末に会ってから1年のその日、顔を見るなり彼女は言った。
「…あなたってやっぱり、すごいことだったのよね」
「え?なんですか?」
「あなたと同じ病気をしたひとたち、みんないなくなってしまったわ。あまりにも当たり前に帰ってきたからつい、そんな気持ちでいたけれどやっぱり奇跡だったんだなって」
「あはは。わたしも思っています。2か所も転移していて、治療後すぐに社会復帰して…って、生命力が強いというか生き汚いというか」。
わたしが20代半ばの頃にいつも一緒にいたこの女性の、実年齢をそのときは知らなかった。常識外れに若いのだ。たぶん、5歳も違わないほどの容貌だった。けれど、時折流行していたアイドルの話などするときに、「あれ、もしかしたら結構違うのかもしれないな」なんて思う程度であって、恋愛のこと、ファッションのこと、年齢差を感じずに興じていたのは、価値観や感性が似ていたのだと思う。その彼女も、昨年会ったときよりも髪の毛のボリュームが減っていて、それが年齢を感じさせた。このひとの上にも、同じように歳月が降ったのだ、そう思うと1年をたくましくともにサバイブしたことに誇らしい心持ちになった。
「また会いましょう。来年はもっとちょくちょく」。互いにそう笑いながら別れるが、たぶんまた年末にしか会わないのだろう。あまりにも時が早く流れるので、まごまごと戸惑っているうちに1年が終わるのだ。
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