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アタシクリエイティブ

「マレットヘア」のことを書かなくてはなるまい。ああそれはもう義務に近い。なんのこっちゃ?と思ったひとは今すぐ検索してみてほしい。すると、以下のようなキーワードが並んでいることに気がつくはずだ。(画像出典:Wikipedia)

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そう、それはこんな髪型。

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なんてことはない、後ろ髪が長くてサイドは短くカットしたあれだ。そしてわたしは今、そんな髪型をしている。

これには理由があって、強いカールが落ち着き、耳だしピクシーカットからだいぶ伸びたこともあってやっとこさ「コンサバティブ」になれると思った。美容師さんと久しぶりに対面し、思ってもいなかった言葉をいつものごとく口にしている自分に気づく。「お任せで!」。お任せ、これはショータイム始まりの合図。

通っているサロンはモードなスタイルを得意としていて、間違いなく「お任せ」とオーダーした方がサロンの持ち味も技術も堪能できる。多くの芸能人もひとめみてそのサロンとわかるスタイルをしている。自分は本来、コンサバティブに憧れながらそこからはみ出している人間だ。かといっておしゃれでもないためモードの住人になり切る器もない。そのサロンも、担当の美容師さんのこともプロフェッショナルとして敬愛とも尊敬ともいえぬ感覚で接している自分は、「この人の思うとおりにしてもらうことがベストな選択」と頭では信じている。そしてたぶん、それは正しい。

その結果、たいてい本来の自分の身の上を結構超えたモードでスパイシーな髪型に仕上がる。毎回のことだ。しかし今回、カットが入る前に説明された段階で「ドッキン」と胸が早鐘を打ち始めた。

「いい感じでパーマが残っているし、サイドをこの辺(耳あたり)でカットして、後ろはどこまででも伸ばせる感じとかかわいいと思う」

「(!?!?!?)いいですね…!それでお願いします!(マジで!?!?)」。

このやり取りのあと、鏡に映る姿は、かつてさんざん馬鹿にしてきた「マレット」なわたしだ。しかしサロンマジックなのか、サロンの鏡に映るそれは違和感なく「攻めてるけど…似合ってる??」という感想だった。わるくないな、とドギマギしながら思う。店を出て移動するのにタクシーに乗る。

ひとしきり自説をぶつ運転手さんの話をふんふん聞いていると、やおら運転手さんが「…と、こういうことをですね、おれはお客さんには書いてほしいわけ」と言う。実際、自分は多少そういう方面の仕事に従事していることもあり、かといって相槌しか打っていなかったために大層驚く。

「…あのあのあの、なんで「書いてほしい」って言いました?」と恐る恐る聞くと、「だってクリエイティブな仕事の人でしょ。おれそういうのわかっちゃうんで」と答えたけど、わたしは知っています。髪型でしょ!髪で判断しましたよね、あなたいま。

料金を払ってクルマを降りながら、「そうか。うむ。これからはそれでいくしかあるまい。こんな頭してるんだからもう、クリエイティブな人に振り切っていくしかないのだ。そうすればとりあえずなんか、許されるっぽい」とぶつぶつ独り言ちていた。

さてマレットになりひと月が過ぎた。鏡の自分に戸惑わない日はない。しかし、周囲から非常に好評という不思議。こういうときつくづく思うのだが、そもそも美容師さんは彼女なりの眼で、わたしに合うと信じる髪型にしているわけで、自分は毎回「おそれおおいなぁ。そんなこだわりの人間でないのに…(道端でへんに目立って因縁をつけられたらどうしよう)」と恐縮する。彼女が引き出す自分のなかのエッジは意外と毎回世の中に受け入れられることからすると、自分で思う自分と他人がわたしから受ける印象って結構違うんだろうと思う。

今?いまは毎日、自分を鼓舞して開き直りパワーを発動している。

「アタシはクリエイティブ!クリエイティブじゃなきゃこんな頭できない!」と言い聞かせながら外に飛び出していく。

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