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short short stories.

 「天井が高くてね、大きな窓の向こうが夕方になると真っ青になって。なんだか魚になって水槽の中にいるんじゃないかって、そんな感じなんだよ」と、49Fのその執務スペースに使っている場所のことをいつのことだか、かの人に言ったらば「わかんない。だって水槽の中にいたことないから」とすげなく言われたことを思い出した。今日もそこは、いよいよ群青の濃度を深め、そこかしこにちらちらと灯りがともり始めた。間もなく19時になる。

 以前は一週間のほとんどをここで仕事をしていたが、会社員になってからは普通に会社に行っている。今日は副業を片付けるために、そしてリセットのためにここにきている。少し久しぶりに足を踏み入れてみると不思議ななつかしさと安らぎを感じる。席に座るすべての人が、たった一人で仕事をしている。もちろん、向かい合うPCの先で人とつながっているのだろうけれど、会社にいればすべての席にいるのは同じ組織の広い意味で仲間だ。けれど、同じ空間に居ながらすべての人が自分とまったく関わり合いがないのだ。以前だったらそれこそが当たり前に思われたが、毎日会社に行くようになってこれはとても不思議に思える。

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 凝り固まった頭の皮膚を、丹念にもみほぐしてくれながら4月から社会人になったばかりの女性が話す。その話に耳を傾けながらこれもまた不思議な心持ちになってくる。この、いかにも可憐な社会に出たばかりの彼女は、まだその面差しに少女の面影を強く残しており、齢なりの懸命さ健やかさで眺めた社会について感想を言っている。頭皮を揉まれながら私も齢なりに覚えてきた社会の真実を自分の言葉で返しながら、「こんな大人のような物言いをできるようになったほどには、自分もすっかり年を取ったのだ」と内心驚いたりしている。いったい中学生の頃の自分の内面と今の自分は、どれほどの違いがあるというのかと思うほど、あの頃だってずいぶんと深刻だった。 わかったふうな、実際わかってきたことがたくさんあるのだけど、そういった大人の物言いをする自分を、自分自身がもっとも驚きながらひやかしているのもまた事実なのだった。

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 自分が薦めた映画は私が実際に観ないと、途端に不機嫌になるくせに私が薦めた作品を観ることのなかったかの人に、「…もし会えなくなったときがきたら “あー、そういえばお薦めされたっけな” と思い出して観てくれればいいよ」と言うと、「それはなんのフラグなの?」と言ってまったく本気にしなかったけれど、私はいつも内心で、会えなくなる未来は確実にくると思っていた。だから心の準備をいつもしていたと思う。なんだかんだ18年も経ってしまったが、春がくるのと同時に本当に会えなくなった。会わなくなった。
 かの人の幸福を願いながらもほんの少し、私を失った分くらいは不幸でいてほしいとも思う。

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