子供の頃の自尊心(プライド)
自尊心というものがよくわかっていない。プライドと書いたりもするから、プライドという方がしっくりする感じがする。
自分は子供の頃に、大人に相談した覚えがほとんど無い。
人に相談する事は、とても大事な事だと今は理屈ではわかっている。いじめられても大人に相談し続けていれば、手助けをしてくれるだろう。自分はなぜ、子供の頃は誰にも相談出来なかったんだろう(ちなみに、40歳を超えるまで、人に相談することはほとんど出来なかった)。
自分が子供の頃は、内気な子だったと思う。でもそれは外から見た印象で、悪意の無い子供とならはしゃぎ回っていた。大人が来ると急にスンと心を閉ざす感じが多かった。まあ、それについては今はよくわかっていないが。
ただ、
何か辛いこと、嫌なことがあっても、ひたすら耐える子供だった。
今朝思ったのは、
その理由として、プライドがやたら高かったんじゃないか
という事だ。
高く大きいプライドは、不意に他人に傷つけられたりすると、ひどくショックを受ける(子供が意地悪されてうえーんと泣き出すのはそれが原因な気がする)
1.高いプライドは容易に他人に謝る事が出来ない。
私が何か悪い事をした時、まともな(自分が嫌いではない)人(大人でも子供でも)が、指摘してくれると、素直に謝れた。しかし、ちょっとでも嫌な奴に指摘された時は、例えそれがまったく正しい事であっても「なんでこんな奴に謝らなきゃならないんだ」と、心から謝る事は出来なかった。納得出来なかった。
2.プライドがやたら高いので、少しでも恥ずかしい思いをしたくなかった。
子供にとって自分の高く大きいプライドを守るのは大変だった。自分の体から少しでもはみ出れば、傷つけられてしまう。あまりに大きいので、体を張って攻撃を身で受けながらひたすら耐えるのが精一杯だった。
だから、何か自分のプライドを傷つけられそうな事があると、ひたすら絶えていた。いじめられてもそうだった。
プライドがとても高いから、いじめられている自分を誰かに相談する事はとても恥ずかしい事で、誰かに相談する事が出来なかった。
まったく身動きが取れなかった。
どうやって、そんな高いプライドが形成されていったのかは、まだわからない。だが、いじめられっ子は、実はとてもプライドが高いんじゃなかろうかと、少し思う。
40歳を超えた今になって、やっと人に困り事を相談出来るようになってきた。
大人になってから、少しずつ恥ずかしいと思うハードルが低くなってきたように思う。例えば、社会に出れば人前でプレゼンぜざるを得ない場合がある。それは結構ハードルが高いが、そこまででもないハードルを少しずつ超えて来たから、恥ずかしく感じるハードルが低くなってきたように思う。
でも、実は今でも自分のプライドは高く大きいままなんじゃないかという気もしている。そう思う理由も今はわからないが。
書きたかった事は、
いじめられっ子は、臆病なのもあるが、プライドが高いのがいじめられ続ける原因の一つじゃないか、という事です。
反撃するのは怖いし、高いプライドを守るのが最優先でひたすら絶えて、恥ずかしいから誰にも相談できない。
以上、今朝ふと思ったことです。
タイトル画像は自分の高くて大きなプライドのイメージ、スカイツリーです。
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