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【展覧会小説】フツウなるままに

 鈴木和也にとて小学校の同級生に会うのは、成人式以来15年ぶりだった。鈴木和也は28歳の時に結婚し、29歳の時に長男が生まれた。仕事では課長代理の地位に就いた。ごくありふれた昇進コースを着実に進み、とごくありふれた家庭をもった。しばらく会っていなかった友人たちもまた、似たような境遇であった。同窓会は他愛ない近況報告や数年違いで先輩・後輩となった育児についての情報交換会となった。

 同窓会が中盤に差し掛かった時だった。一人の男が「遅れましたー」と威勢よく入ってきた。天原翔だった。今や俳優としてテレビや映画で見ない日はない程の有名人が、鈴木和也の同級生だった。集まった同級生は一気に天原翔の周りに集まり、「我ら第三小学校のスター」と囃し立て「妻がファンなんだ、サインくれよ」と群がった。20歳の時にイケメン俳優の登竜門となっているモデルオーディションに受かった後、モデルや俳優の仕事を細々としていた。転機となったのは6年前、映画でサイコパスな猟奇殺人犯を演じ、端正な顔で狂気を孕んだ演技が高く評価され、演技派俳優として活躍し始めた。演技だけでなくバラエティー番組に出れば、芸人顔負けの汚れ仕事も引き受け、女性だけでなく男性からの支持も集めた。
 天原翔はそうした自身の置かれている状況に天狗になる訳でもなく、かといって謙遜する訳でもなく、屈託なく笑いながら群がる同級生の声に応じていた。

「小学校の時と一緒だ。」

鈴木和也は天原翔を囲む輪から外れて、一人つぶやいた。

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「今日から新しいお友達が皆の仲間になるので、仲良くしてね。」

市立第三小学校の6年生も中盤を過ぎた11月、天原翔は転校生としてやってきた。女の子に間違われそうな程のパッチリとした二重に、すっと通った鼻筋、キュッと締まった唇。誰の目から見ても端正な顔立ちの少年の姿は、何の変哲もない市立の小学校において、一種異様な光景にさえ思えた。

「天原翔といいます。よろしくお願いします。」

初めての場所、人に臆することもなく溌溂と挨拶をする天原翔の姿に、クラスの女子の大半はすっかり陥落した。その雰囲気を察した半分の男子は反感の眼差しを向け、もう半分はその端正さをただ見つめていた。鈴木和也はそのただ見つめていたうちの一人だった。

「鈴木君。あっ彼がこのクラスの学級委員の鈴木君ね。分からないことがあったら鈴木君に聞いてね。鈴木君、天原君が慣れるまでよろしくね。」

担任の土佐先生が急に自分の名前を呼ぶのに鈴木和也はびっくりし、「ふあい!」と声が裏返った。クラス中に笑いが起こった。「こら、笑わないの」という土佐先生のフォローに一度付いた火を消すほどの効力はなく、鈴木和也は恥ずかしさで俯いた。単に声が裏返っただけならこれほど恥ずかしさなど感じなかっただろう。突然現れた美少年を前に学級委員である自分が醜態を晒してしまった悔しさ、惨めさがないまぜになった恥ずかしさであった。

「鈴木君、面倒掛けると思うけど、よろしくお願いします。」

 天原翔の清々しい一言で、クラス中の笑いの波が一瞬にして鎮まった。土佐先生はその状況に安堵して天原翔に席を支持し、ホームルームの続きを始めた。クラスメイトの視線は席に移動する天原翔に注がれ、もう誰も鈴木和也の先ほどの醜態を忘れた。恥ずかしさ、惨めさの沼に沈み落ちた鈴木和也だけが、一人取り残された。
 クラスの人気者の地位など午前中の授業が終わる頃には天原翔のものになり、クリスマスのシーズンになれば学年一の人気者になっていた。休み時間には天原翔の周りには常に人が集まった。最初はその端正な顔立ちに惹かれた女子たちが大半だったが、天原翔は授業中や放課後の時間で男子たちも虜にした。サッカーが上手かったこと、忘れ物が多いなど適度にダメなところがあったこと、学年主任の狩野先生の物真似が上手かったこと、悪ガキグループが主体となってやった教頭先生へのいたずらに参加したこと、…天原翔が人気者になる要素はいくらでもあった。

 転校当初、鈴木和也は天原翔の世話係として常に一緒にいた。理科室や図工室などの移動はもちろん、「学校やみんなに早く馴染みたいから」という天原翔の健気な気持ちから、学級委員の仕事や先生からの頼まれごとを二人は一緒にしたりした。二人の間に距離ができ始めたのは年が明けて三学期が始まった頃だった。月に一度の委員会の日、鈴木和也は天原翔と遊ぶ約束をした。先に帰って近くの公園で待ち合わせようと提案した鈴木和也であったが、天原翔は委員会が終わるまで教室で待つと言った。委員会が終わり足早に教室に向かった鈴木和也は、そこで天原翔が数人の女子たちと話しているのを見つけ、何となく教室の外で何を話しているのか気になり、「入るタイミングを見計らってるだけ」と妙な言い訳を自分にしながら彼らの話に耳を澄ませた。

「天原君ってさ、優しいよね。いつも鈴木君と一緒にいるじゃん。」
「鈴木君って真面目だよね。一緒にいて楽しいの?」
「確かに。一緒に何して遊ぶの?共通の話題とかあるの?」

鈴木和也にとって彼女らの言葉は傷つくには値しない。そういう風に思われていることなどとうに気づいていたし、誰よりも自分が思っている。それよりも天原翔がどう答えるのかが肝心だった。

「まあね。和也は真面目で普通だからな。」

鈴木和也は、教室に入ることなく逃げるようにして家に帰った。それからのことを鈴木和也は詳しく覚えていないが、天原翔とは自然と距離ができ、卒業式を迎え、中学生になってクラスが別々になってからはほとんど会う事すらなかった。中学校でも天原翔の人気は続き、鈴木和也は”天原人気”という現象を作り出すための背景となった。

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「久しぶりだな、和也。」

天原翔は鈴木和也に話しかけてきた。鈴木和也は、ギョッとして天原翔を見つめた。なぜ今、わざわざ自分に話しかけるのか理解できなった。

「なんで俺に…」

「なんでって、同窓会だろ。昔の友達に話しかけちゃだめなのかよ。」

笑いながら天原翔は答えた。

「友達っつったって、1年も一緒にいなかったじゃないか…」

「まあな。中学はクラス別だったしな。でもまぁ最初にできた友達が和也だからな。特別だよ。キスは何回できてもファーストキスは1回しかできない、みたいなもんだな。」

「気持ち悪い例えやめろ。」

天原翔は大いに笑った。

「そんな特別な友達をお前は”真面目で普通のつまらない奴”って思ってたんだろ。」

「俺がそんなこと言ったか?」

「言った。委員会が終わるのを待ってた時、お前クラスの女子に話してたろ。俺は真面目で普通だ、ってな。」

「言ったかな……まさか、それ聞いて怒ってたのか?」

「怒ってはいない…おっしゃる通り、俺は真面目で普通なつまらない人間だ。」

「つまらないとは言ってないだろ。思ってないし。」

「言ったようなもんだろ。」

「全然違う。確かにお前は真面目だし、多分今でもお前の99%は真面目でできてるし、普通だ。」

「そりゃ、お前に比べれば普通極まりない奴だよ。」

「悪態着くなよ。いいか、俺は”真面目だ”って言ってるんだ。この仕事してて一番俺が感じたことは”普通”であることがいかに難しいか、ってことなんだよ。特徴あるキャラクターを演じる方がはるかにやり易い。なんて言ったって特徴がわかりやすいからな。」

「そりゃすみませんね。”普通”の人間は表現すべき特徴がなくて。」

「俺も最初はそう思ってた。普通っていうのは特徴のない平凡なことだって。でもそれは微妙に違ってて、”普通”っていうのは、色んなこと感じて、考えて、周りの声も取り入れて、試行錯誤して、調和して、引いたり足したりして、そうした色んな経験を蓄積した上で成り立つ基本スタイルなんだと。」

天原翔は自分の発する言葉で熱くなり、鈴木和也にというよりは自分自身に対して言っているようだった。鈴木和也はその様子を半ば呆然と見ていた。天原翔は我に返ったように鈴木和也の方を向き、言葉を続けた。

「それにな、そもそもの大前提として、確かに俺はお前を99%真面目でできているような奴だと思っている。だけど面白くない奴だとは1%も思っていない。断言する。お前は真面目だ、そして面白い。」

「何だよそれ。それに99%が真面目で面白くないとも1%も思ってないなら、残りの1%何だよ。」

「残りの1%?…ああ、そうだな。ちょっと変わってるってとこだな。」

「変わってる?俺が?」

「ああ。お前の変わってるとこは、”すげー変”って程でもない。だけどちょっと変なのがすげー面白いなって思う。」

「そんなに俺が変わってるって思わせるようなことしたか?」

「あぁ、蟻の絵を描いてた。」

「蟻の絵?」

「そう、蟻の絵。歴史の授業の時にさ、一度教科書借りたことあったろ?その教科書にお前蟻の行列描いてただろ。砂糖とか運んでる蟻の行列。それに”蟻軍財宝を運ぶの図”とかってタイトルつけてたの覚えてないか?」

「そんなもの描いたか?」

「あぁ描いてた。おもしれーなって思ったよ。すげー真面目に授業聞いてる感じなのに、教科書にそんな絵描いてるなんて。ペリーや坂本龍馬に落書きするような馬鹿な落書きじゃない。落書きまでしっかり考えて描いてるなんておもしれーなって。和也の最大の特徴だよ。真面目で普通なのが。だから面白いんだと思うぜ。俺からすれば。」

 鈴木和也は、言葉が出てこなかった。歴史の教科書に描いた蟻の絵のことを覚えていないはずなかった。天原翔から教科書が戻ってきた時、蟻の行列のイラストの横には「面白いな!」と書き込まれていたのだ。

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この小説は、府中市美術館で開催中の「ふつうの系譜」展から着想を得て書いた小説です。「ふつうの系譜」の感想はこちらの記事をご覧ください。



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