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東京藝大「コレクション展2021」&東博「聖徳太子と法隆寺展」

東博の「聖徳太子と法隆寺展」を友人と行く予定を立てた。事前予約制なので、とりあえず土曜の13時~で予約したが、何か他の展覧会とハシゴできないかと思っていたところ、ちょうど東京藝術大学美術館のコレクション展が開催されているということで、これは僥倖!と思い、午前中に藝大、午後に東博という上野の中でも特にピンポイントにエリアを固めた。

聖徳太子1400年遠忌記念 特別展「聖徳太子と法隆寺」 
会期:2021年7月13日(火)~9月5日(日)
会場:東京国立博物館 平成館
開館時間:9:30~17:00
休館日:月曜日 ※8/9(月・休)は開館、8/10(火)は本展のみ休館
観覧料金
【前売日時指定券】一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円
【当日券】一般 2,200円、大学生 1,400円、高校生 1,000円
藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に
会期:2021年7月22日(木・祝) - 8月22日(日)
時間:午前10時 - 午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日、8月10日(火) ※ただし、8月9日(月)は開館
会場:東京藝術大学大学美術館 本館
観覧料:一般440円(330円)、大学生110円(60円)
    高校生以下及び18歳未満は無料

昨今、時間ごとの入場者数を限定しなければいけない事も絡んで特別展(ブロックバスター展)の料金が上がる傾向の中、藝大の入館料400円が目に染みる。ちなみに聖徳太子展は友人にチケットを取ってもらったのだが、代金を支払う時に2100円と言われて信じられずに二度聞きしてしまった(笑)藝大のコレクション展は「雅楽特集を中心に」という副題がつけられているが、これは昨年コロナ(緊急事態宣言)で中止となった「雅楽の美」展のリベンジと言える。この「雅楽の美」展にすごく行きたかったので、規模縮小とはいえこれは行っておきたかったのだ。

結論:この2展はハシゴするべし

大事なことなので、最初に見出しとして言っておきたい。この2つの展覧会はハシゴするのがおススメ。特に藝大⇒聖徳太子展という流れがベストだ。

というのも聖徳太子展の中で、聖徳太子の遺徳を称える聖霊会(しょうりょうえ)のうち、10年に一度行われる大会式(だいえしき)という行事についての展示がある。本展の音声ガイドではこの儀式の映像も見ることができ、そこで(画面が小さく短いながら)雅楽の舞も見ることができる。また繍仏裂(刺繍で仏を表したものの裂)も両展で展示されており、古代の美意識がリンクし、脳内で時代と文化の経糸と緯糸が織りなしていく感覚を感じることができるだろう。藝大は展示規模も大きくないので、1時間あれば十分観ることができる。朝一で藝大⇒お昼⇒聖徳太子展(残りの時間は常設展、東洋館など)とすれば、丸1日堪能できる!東博の手に掛かれば休日の1日を過ごさせることなど余裕だ(笑)

1.藝大「コレクション展」のみどころ

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本展は地下1階のワンフロアのみの展示のため、藝大美術館の展覧会としても実に小ぶりだが、そこに凝縮された雅楽の世界が広がってた。展示室の入口で我々を迎えてくれるのは、諸芸の守り神《伎芸天》。明治の彫刻家・竹内久一による約3メートルの巨大な伎芸天は、厳かに立ち、わずかな微笑みを浮かべて静かに我々を見下ろす。その天衣は華麗に装飾され優美が曲線を作り出している。左手には蓮の花びらを入れた盤を持っているが、まるで芸の道を志す学生たちの頭上に降り注がれるのだろうか。その隣に私は巨勢小石による絵画作品《伎芸天女》も展示されており、絵画。彫刻それぞれの伎芸天の競演を観ることができる。

そうして次の展示ケースに進むと、すぐにあの国宝《絵因果経》のお出ましだ。藝大では、毎年この作品を場面を変えて展示しているとのことだが、今年は雅楽特集に合わせて琵琶を奏楽する飛天が登場する場面が展示されている。(個人的には『犬神家の一族』ばりに何かに上半身をうずめて2本の足だけが出ている人物が気になって仕方がなかった)

本展での個人的に魅力的だった作品は2つ。土佐光起 伝原作《舞楽屛風》(模本)と、「御飾時計」だ。舞楽を描いた作品としてすぐ思い出せるのが俵屋宗達の《舞楽図屛風》くらいの私にとっては、23演目の舞を描いた本作はちょっとした”舞楽事典”だ。展覧会では舞楽の演目に馴染みがない人にも分かりやすいようカラーの無料パンフレットに、本作に描かれている舞の演目が図示されてあるのでご安心を!本作は模写作品なので、線描のみの箇所が多々ああり彩色も全体的に淡い色調なので、完成作品のような濃密さはないが、これだけでも雅楽の色彩豊かな美しさが感じられる。展示室内には「陵王」や「胡蝶」という演目の装束も展示されているので、そうした実物との比較もできるだろう。面白いのは宗達の《舞楽図屛風》でも描かれている「採桑老」、「納曽利」「陵王」「還城楽」「崑崙八仙」が本作でも同じポーズをしていること。土佐光起が活躍した室町中期~戦国時代、宗達の江戸初期には「この演目と言えばこのポーズ!」という共通コードが出来上がっているという事だろう。もしくは、あくまでも一介の町絵師であった宗達にとってはそうした先行例が「雅楽」イメージの拠り所だったのだろうか。(雅楽に馴染みがなさすぎで、当時の人々の雅楽との距離感が分からないから何とも言えないが…)こうやって見ていくと「じゃあ実際はどんな風に踊っていたの?」と思うのが自然というものだ。おそらく知れば知る程こうした舞楽を描いた作品の描写の意味が見えてくるようになるのだろう。今の私には表面的な心地良さ(舞姿の躍動感や衣裳の美しさ)を楽しむしかないが、それだけでも十分目と心に心地よい。ちなみに、展示室の向かいには映像コーナーがあり、《陵王》の衣裳の着付手順の動画、主な雅楽器の演奏(どんな音なのかを実演)の動画もあり、そちらもしっかり見ることをおススメする!!

一方御飾時計は、シチズンの前身である尚工舎時計研究所が昭和天皇皇太子礼奉祝記念に製作したもので、今回修復作業が行われて公開となったようだ。約2メートル程の置時計は、盤面が花型でその花びら1枚ずつに1~12の数字が施されている。周囲の装飾や彫刻も流麗だ。見どころは時計盤の上の屋根の装飾に鼉太鼓(だだいこ)を打つ2人の女性や時計台に止まる数羽の鳩のカラクリが施されており、動く仕組みになっているのだ。今回、藝大とシチズンによる修復作業によって息を吹き返し、新しい時を刻み始めたのだ。15分ごとに鳩が動き、太鼓を打つ女性たちが動くき、1時間ごとにその時の数だけ(11時なら11回というように)音が鳴る仕組みだ。

※音がなる様子をライターさんがtwitterで挙げていたので、こちらをご参照ください。

私が展示室にいた時にもちょうどシチズンの職人さんによる巻き上げ作業が行われ、それらのカラクリが動くように時間を調節してデモンストレーションを見せてくれた。時計盤の装飾も美しく、盤面以外の三方は透明ガラスになっているので、時計の横や後ろに回ればゼンマイが動く様を見ることができるので、こうした精巧なカラクリが好きな人には堪らないだろう。つくづく「どんな世界でも”極めたもの(者、物)”というのは素晴らしいのだな」と思う。

本展の担当者は絶対この「御飾時計」をもっとアピールしてもいいと思う。美術好きにも機械好きにも刺さる逸品だと思うんだけど。

2.東博「聖徳太子展」のみどころ

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令和3年(2021)が聖徳太子の1400年遠忌にあたるという事から様々な館で聖徳太子展が催される予定だが、まずは奈良国立博物館と東京国立博物館による「聖徳太子と法隆寺」展。聖徳太子と言えば、笏をもって侍者を2人連れている絵が有名で(でもあの絵は聖徳太子ではない説もあり…)、「十七条の憲法」「冠位十二階」の制定でお馴染み。あとは10人の声を同時に聞き分けるエピソードがあるけど、今の教科書では聖徳太子の呼称ではなく「厩戸王(皇子)」が主体となる……と、調べれば調べるほど伝説と実像が分かるような曖昧になっていくような不思議な存在だ。

あらかじめ断っておきたいのは、この展覧会ではその「実像」に迫るものではない。むしろその逆で、聖徳太子没後に隆盛した聖徳太子信仰の在り様も含めて「”聖徳太子”とはどういう存在だったのか」、そしてその信仰の中で「どういった美術が生まれてきたか」という主題を法隆寺の宝物などを中心に展観していく。なので私は展覧会を見終えて聖徳太子の事が「分かった!」という気分にはならなかった。むしろどんどん「よく分からなくなった」。聖徳太子を崇める太子信仰というのがあるというのは知っていたし、もちろん法隆寺だって知っているが、あくまでもそういうものがある程度の認識だとこの展覧会を観て悟った。太子信仰の在り様と言っても「聖徳太子の業績凄いでしょ。偉いでしょ」程度で思っていたが、その神格化されていく様は想像以上の”何か”があった。まさに…

太子、恐ろしい子!

何が恐ろしいって「偉業をなした人物」を讃えることは太子以外にも多々いるけれど、言い伝えと共に残る品が私の思っていた以上に”斜め上”を行っていた。それは、こういう物が残る(残したくなる)程の求心力が「聖徳太子」という存在にあったことの証明であり、その聖人化への熱量がすさまじい。私にそう思わせた展示品ベスト3は下記の通り。(順番は展示順)

「夾紵棺(きょうちょかん)断片」聖徳太子の棺の一部と伝えられる板(何十枚の絹を漆で固めて作る。←聖徳太子の棺の一部が残っていることなんて知らなかった。そして本来麻を使うこの技法で絹を使う贅沢さよ…((((;゚Д゚))))ガクブル)
②「善光寺如来御書箱(おんしょばこ)…太子が長野・善光寺の阿弥陀如来に手紙を出した際、如来の返事があり、その返事の手紙が収められた箱(←聖徳太子ともなれば阿弥陀如来と文通できるのー⁉ 
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル)
「梵網経(ぼんもうきょう)…法隆寺東院の舎利殿に伝わってきた太子ゆかりの七種の宝物の内の経典だが、題箋(巻物の外側に貼られたタイトルを書いた紙)が太子の手の皮と言われている(←いやもう、怖いよー。
(((;゚Д゚))))ガクガクガクブルブルブル)

③に至っては音声ガイドを聞きながら鑑賞してたけど、我が耳を疑ったよね(笑)以前サントリー美術館の「水展」で《春日龍珠箱》を見た時にも思ったけれど、近世以前の信仰美術の濃密さというのは、本当に信仰の対象となるものの聖性というのを信じて疑っていないんだろうなと思わせる凄みがある。ついつい全てにおいて「現代はそれより前の時代より優れている」という思い込みをしてしまいがちだが、信仰心が希薄になり世の中の事の多くを科学で説明できるようになった現代の感覚と、聖なる者(物)を一心に信じる世界で生きる当時の人々では、果たしでどちらが豊かだったろうかと思わずにはいられない。豊かさの定義も難しいし、だから過去の時代が良かったと安易に言いたい訳ではないが、何と言うか、近代以降において隅から隅まで「科学」や「論理」で光を当てすぎた感が否めない。光が当たらない昏さにこそ想像力が育まれる余地があるのではないだろうか。明らかにし過ぎてしまうと面白くないのでは、と思ってしまう。

「凄み」という言葉で思い出したが、本展では法隆寺金堂壁画の《阿弥陀如来説法図》の模本が展示されている(前期:明治17年頃の作、後期:昭和15~26年の作)。現物が焼失してしまった現在において、当時の在り様を伝えるのはこの模本であるが、そのクオリティの高さによってまるで本物を前にしたかのような圧倒される感覚に襲われた。展示されている作品は言ってしまえば「コピー」であるはずなのに、現物(オリジナル)がない今、そして焼失以降に生まれている私たちにとっては、最早これこそが「オリジナル」なのだ。

その他、法隆寺金堂の釈迦三尊像(教科書にも載る作品)と共に金堂に置かれ東の間の本尊なる《薬師如来坐像》や、太子の妃である橘姫の発願で作られた《天寿国繡帳》、金の板に透かし彫りで天上から舞い降りる菩薩の優雅な姿を表した《灌頂幡(かんじょうばん)》など、名品中の名品が並ぶ。

ちなみに本展は音声ガイドを利用することをおススメする。というのも展示室内のキャプションがここ最近の4か国語表記に伴い、日本語の説明をあっさりしてきているので、仏教美術や飛鳥時代の事についてある程度の知識がないと、多分キャプションを読んでも「ふーん」とわかったような気になるだけのように思う。音声ガイドが説明を補足している分、それぞれの作品の価値(展示の意味)などが理解しやすい。また、第3章で紹介されている大会式という儀式の様子についてもダイジェスト版の動画を観ることができるので、より聖徳太子と法隆寺の世界に触れることができる。

※とはいえ、音声ガイドで東院の宝物七種(先ほどの《梵網経》を含む宝物類)のガイドは展示順と説明の順番が前後しているにも関わらず、それを展示室内の掲示や音声の中でフォローしておらず、「?どこ??今説明している作品ってどれ?どこにあるの??」と展示室内をウロウロしてしまったので、東博と音声ガイド会社には改善を求めたい(7月25日時点)。東博はただでさえ展示室が広いので、どの作品をガイドで説明しているのか、それがどこにあるのか、というアナウンスはきちんとしてほしい。あれで分かってもらえると思っているなら主催者・制作者側の怠慢だと思う。

終わりに

どちらも面白い展覧会だったが、個人的にどちらが充実した時間だったかと聞かれると藝大に軍配を上げたい。聖徳太子展は出ている品は名宝と言うべき物の数々なのだけれど、その世界に引き込むだけの力が弱く感じた。それは展示室内のキャプションが「簡潔」というより「ざっくり」レベルなのも要因ではないかと思う。『奇想の系譜』の絵師たちのように理解できなくても一目で「個性的!」と思わせる作品ならいざ知らず、仏教美術や古代の時代については馴染みがなくなる一方なので、作品と鑑賞者の間をつなぐのは「言葉(解説)」ではないだろうか。しかし、その手間が近年の東博の特別展ではかかっていないように感じる(そこまで手が掛けられないというのが実情か?)。色々な事情が絡んでいるから一概に否定的に捉えるのもしたくないが、それが日本美術ファン層を減らし、ブロックバスター展しか来ないという負のスパイラルに陥らせているのではないだろうか。(そんなことは分かり切っていて、それをどうすることもできない業界のパワーバランスの問題か?)
 また、展示室内の見せ方も何となく中途半端でメリハリがない印象を受けた。東博の展示の凄いところは、何と言っても第一級品の作品を大空間で観ることができる「スペクタクル」ではないだろうか。それは別に「客のウケを狙いに行く」というレベルの話ではなく、それだけの作品と空間を使って壮大なスケールの物語を展観させることができるということで、それは東博以外の施設では中々できることではない。だからこそ東博は東博たり得ていると思うのだが、今回その「スペクタクル」があまり感じられなかった。個人的に「これぞ名作」と思っているものの扱いがあっさりしていたり、”〇〇の空間を再現している”ということを音声ガイドで言ってた箇所にその再現性を感じなかったり(「何がどう再現されているの?」という疑問が残る)したことが一因であると思うが、展示の仕方に散漫な印象を受けた。
 そういう意味では藝大では展示規模は東博とは比較にならない程小さいが。しかし、その小さい空間で《伎芸天》や《舞楽屛風》、「御飾時計」といったメインピースを中心に配置し、その間に軸装の作品や衣裳をリズミカルに配置し、メイン作品にはキャプションを充実させたり、無料パンフレットで補足を入れるなどの補足をしている。そのおかげで、雅楽に馴染みがないながらもその世界に浸る事ができた。
 個人的な相性、関心度によるところが大きいので満足度を一概に比較することはできないが、こうやって見ればやはり「ブロックバスター展だからとりあえず見ておこう」というのは、高額化していく昨今ハイコストになっていくのだな…となると、結局その分野の愛好家しか来なくなって、結局人が呼べるものばかりの展覧会になってしまう??

ちなみに、現在は夏休み企画として「まるごと体験!日本の文化」というワークショップも開催されている。着物の柄の塗り絵ができたり、尾形光琳の《八橋蒔絵螺鈿硯箱》を自分なりにデザインする体験もできる。これは会場内のデジタルパネルで杜若の花、葉、橋、流水のモチーフを好きなように配置すれば、会場内のパネルで完成した状態(箱状の3D)で再現される。またペーパークラフトにもしてくれるので、お家でオリジナルの《八橋蒔絵螺鈿硯箱》を作ることができるのだ!

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左:尾形光琳《八橋蒔絵螺鈿硯箱》柄タブレットケース
  (ヘアピン入れとして活用中)
右:筆者作《八橋蒔絵螺鈿硯箱もどき》

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