筆文字を極める―今始めたいこと
茶道をはじめて数年が経ち、最近は稽古の中でできたご縁でお茶会に招かれる機会もできた。茶道では、茶席での一期一会の出会いを大切にするためにある、1つの文化がある。
お礼状だ。
茶会の後には必ず亭主にお礼状の手紙を出す。よほど格式の高い茶会でなければ、それほどかしこまらなくても良いが、やはり毛筆で書いた方がよい。これが私にとっては試練の1つであった。熨斗袋に署名するのもままならない私であるから、お礼状なんてとんでもない。
しかし、今年の初めに天啓にうたれた。
それは、東京国立博物館で開催された「本阿弥光悦の大宇宙」展だった。光悦は、刀の研ぎや鑑定を行う家に生まれ、その家業のほかに、書、陶芸に秀で、俵屋宗達とのコラボレーションした和歌巻や、能の謡本の料紙装飾、蒔絵など、幅広い分野でその芸術的センスを発揮した、江戸時代初期の名プロデューサーのような存在だ。
そんな光悦の書に改めて触れて、「今年こそ筆で文字が書けるようになろう」と決意した。なぜこの時にそれほどそう思ったのかはわからない。光悦の書はそれまでにも何回も展覧会で目にしてきた。その時は光悦の書を愛でても、自分も書こうとまでは思わなかった。やはり茶道を始めたことで、「筆で文字を書く」という行為が自分事になったからだろうか。
ミュージアムグッズで売っていた光悦と宗達がコラボレーションした和歌巻が軸にプリントされた筆ペンを購入した。その日から、以前に購入して本棚の肥やしになっていた筆ペン練習帳を取り出して、毎朝数ページ練習することを日課にした。そんな日々が約1ヶ月続き、一冊を終える頃には、自分の名前くらいはある程度まとまりよく書けるようになっていた。今年からは稽古の月謝の封筒も筆で書くようにしている。
何事も「慣れ」なのだ。筆をどのくらいの力加減で握ればどのくらいの太さになるか、その匙加減は実際に手を動かさない限り身につかない。経験が少ないから、いざ筆を持っても自信がないためにバランスを崩す。その負のスパイラルから脱却するには、とにかく「筆を持って書く」ということが大事なのだ。
日常のやり取りはほとんどPCかスマホでことが足りてしまう現代、なかなか筆文字の練習の機会を得ることは少ない。その中で私が見つけた練習場所が「メルカリ」だった。出品した商品を発送する際に同封する添え状や、普通郵便で送る場合には、なるべく筆ペンを使うようにしている。送り先の住所を書くのは普段書く機会がない漢字を書く絶好の機会となる。
月謝袋や熨斗袋の表書き程度なら、割と自信をもって書くことができるようになったが、まだ文章では拙さがでる。文字と文字のつなげ方などが独学だと上手くいかない。今年の終わりには、しっかりとした文章を筆で書けるようになりたい。
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