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【展覧会小説】本物の偽物

「俺と結婚してほしい。」

おそらく今日プロポーズされるんじゃないかと思っていたので、プロポーズ自体にそれほど驚きはなかったけれども、やはりその言葉をはっきりと聞くと込み上げてくるものがあった。

大学卒業してすぐに入社した会社の2つ上の先輩だった彼。部署は違うけれど同じフロアで働いていた。会社でちょっとした雑談を重ねていく中で、当時話題になっていた映画を見に行くことになり、その流れで休日も遊ぶようになった。そうして1か月後には付き合うようになり、3年後、私は別の会社に転職した。それからも付き合いは続き、付き合って5年目の記念日となる今日、彼は私にプロポーズをした。

「はい。」

その答えを聞いて彼は顔を緩ませる。それは喜びというより、一番の山場を乗り越え達成感と安堵の気持ちが入り混じった、そんな顔だった。彼は思い出したかのようにポケットから箱を取り出して差し出した。

「これ、受け取ってくれるかな。」

それは”プロポーズ”の象徴であり典型とも言うべき小さな正方形の箱だった。この箱の中に入ってるもの、その後の儀式、私がすべきリアクション、その一切を瞬時に理解し、人生でこの場面が訪れたことを喜び、私はその箱を受け取った。自分の中にあるイメージの箱と実際の箱では、今手にした箱がやけに古びて見えたが、それは暗い照明のせいかもしれない。しかし、その微かに覚えた違和感は、箱を開けた時に増幅した。私の気持ちを察したのか、彼は言った。

「ああ、そのダイヤ偽物なんだ。でも、本物なんだ。」

******

「お母さん、よく結婚したね。婚約指輪に偽物のダイヤを渡す時点なんてありえないでしょ?ってかどういう意味だったの?”偽物だけど本物”って。」

私はそう捲し立てた。ダイニングテーブルで向かい合う母は私の尋問にもにっこりと笑って続ける。

「ほんとにね。今思えばそうなんだけど、なんでかな、その時は”そっか、この人にとっては本物なんだ”と思って受け入れちゃったんだよね。だったらこれから人生を共に歩いていく自分も受け入れなくちゃ、って。」

母の言葉はまるで真実味を帯びなかった。母はプロポーズを受けた時もそれからの結婚生活の中でも、結局一度もその婚約指輪の真贋を明らかにしようとせず、婚約者である父の言葉の「偽物だけど本物」という意味を尋ねることはなかった。

「お父さんが詐欺師じゃなくてよかったね。」

そういうと私と母は笑った。笑い終わった後の静寂が少しばかり長く続いた時、母は真面目な顔で話し始めた。

「本当にこの指輪が本物なのか偽物なのか、それはどちらでもいいことなの。この石が本物のダイヤかそうでないかが重要になるのは、この指輪が”ダイヤの指輪”として存在する時だから。でもお母さんにとってはこれは”ダイヤの指輪”じゃないの。”お父さんの気持ちを乗せた指輪”なの。だからかな、”偽物だけど本物”なんだって思えるの。」

私は分かるような分からないようなそんな気分だった。その”お父さんの気持ち”が”偽物”であっていいことなのだろうか。

「これ、あげるわね。」

母はそういって偽物のダイヤが嵌め込まれた婚約指輪を渡してきた。「偽物のダイヤの指輪なんてあってもしょうがないし、いいよ」と言って突き返そうとしたが、母は受け取ろうとはせず、ただ一言だけ付け加えた。

「その指輪は偽物かもしれない。でも安心して。本物だから。」

******

私の目の前に、一組のカップルが現れた。まだ若い二人だ。

私は出光美術館の警備員の仕事をしている。今は「狩野派ー画壇を制した眼と手」展が開催されている。上野の大きな博物館や美術館に比べたら、展覧会の規模も小さく、お客さんもまばらといった感じだが、このこじんまりとした展示室の中でいろんな人が1点1点じっくり観ている光景は、悪くないと思っている。

「これって結局のところ偽物ばかり並んでるってこと?」

静まり返った展示室内で、カップルの男性が彼女と思しき女性に話しかけた。声自体はそれほど大きい訳ではなかったが、静かすぎる展示室の中ではその発言が際立ってしまい、声を上げた本人もびっくりして申し訳なさそうにしていた。とりあえず悪気はなさそうだ。

「全ではないかもだけど、多分この辺りの作品はそういうものってことだろうね。狩野派も結構誤った判断してたみたいだね。」

彼女はそう答えた。今回の展覧会では、狩野派という日本美術における一大画派の絵師たちが真贋の鑑定をした作品を展示している。そしてその中には今の研究者の眼からすると「真筆ではない」という作品も多いのだとか。先ほどの男性の疑問はもっともなのだ。私も初めて展覧会の説明を聞いた時は、こういうものを出していいものなのか疑問に思ったほどだ。

「”ダイヤ”であるかどうかを重要だとするなら、偽物ってことね。」

その若い女性が男性にそう言っていた。私は唐突に出てきた「ダイヤ」という言葉が気になって、いけないと思いつつも彼らの会話をうかがってしまった。

「どういうこと?」

彼氏がそう尋ねると、女性はスカートの中から一つの指輪を取り出した。

「これ、私のお母さんの婚約指輪なんだ。お父さんがプロポーズに渡したんだけど、偽物のダイヤなんだって。その時にお父さんは”偽物だけど本物”だだって言って渡したらしい。」

「へぇ、これが…。でも何でユキが今持ってるの?」

「この間お母さんと話してた時にくれたの。お母さんはダイヤが本物かどうかは重要じゃないって。」

「そういうものなのかな。よくそれで結婚しようって思えたね。」

「ホントよね。私もそう思った。でもさ、この作品も同じことなんじゃないかなって思ったの。狩野派が”真筆”って判断したけど、実は違った。じゃあこの目の前の作品は見るべき価値のないものなのか?って言ったら多分違うんだと思う。そりゃ”このそ人の作品かどうか”だけで判断するならバツなんだろうけど、多分ここで言いたいのはそういう事じゃないんだよね。」

「そういう事じゃない…?」

「うん、当時の狩野派の人たちが目の前の作品を実際に見て、”これは誰々の作品で間違いない”っていう判断をした、っていうことの事実が重要っていうかさ。」

「”正しいものとして伝わった”という歴史が重要ってことか。」

「重要っていうと大袈裟かもだけど、その面白さがあるんじゃないかなって。会ったこともない昔の人たちだけど、この人たちがどういう絵を見て誰々の作品だ、って思ってたのかを知ることができるのって、中々ないことじゃない。」

「お母さんの指輪もそういう面白さがあるってことか。」

「でも結局どういう理由でお父さんが”本物”って言ったのかは不明だけどね。お母さんは”お父さんの気持ちを乗せた指輪”として本物だから、って思っているみたいだけど。」

「なるほどね……」

私は女性の母親の奇妙なプロポーズの話に聞き入ってしまった。偽物のダイヤの指輪が本物の婚約指輪として、母から娘へ受け継がれている。果たして彼女はこの先一体、その指輪をどうするつもりなんだろうか。

「それ、俺に預からせてもらえないかな。」

「えっ?」

「ユキのことちゃんと幸せにするって覚悟が出た時、その”偽物で本物”の指輪、ユキに渡したい。」

彼女は驚いた顔をしていたが、私には恥ずかしさと嬉しさが入り混じった顔に思えた。そして彼女は仕方なくといった感じで彼氏にその指輪を渡していた。

「なくさないでよ。偽物とはいえ、お母さんからもらった物なんだから。」

「大丈夫、安心して。本物だと思って大切にするから。」

奇妙なことに、誰もが”偽物”と判っている指輪を、誰もが”本物”として扱う。私にあの若いカップルの今後を知る術もない。果たしてあの指輪はちゃんと彼女のもとに帰っていくのだろうか。

”真か偽か”

その二つの言葉で零れ落ちてしまうものの中には、掬い上げてみるとかけがえのないものがあるのかもしれない。本物の偽物があるのかもしれない。

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この物語は出光美術館「狩野派ー画壇を制した眼と手」展から着想を得て書いたフィクションです。展覧会レビューも書いているので、そちらもぜひご一読ください。

「狩野派 ─画壇を制した眼と手」展@出光美術館https://note.com/ja9chu/n/nab88e84a308d

※展覧会は、コロナウイルス感染症の拡大防止のため、3月1日(日)までとなります。

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