見出し画像

【展覧会小説】玉虫の夢はピンクに踊る

 お婆ちゃんの家は不思議な家だった。玄関を入ってすぐのロビーには不思議な彫刻がいつも出迎えていた。その中でも足にたくさんの引き出しを付けた女性像(心の中で密かに「のっぺらぼうの女神」と呼んでいた)は、上半身を大きく後ろに反らせ、しなやかに腕を伸ばし、この館の守護神のように威厳を湛えロビーの中央に立っていた。幼かった私はいつもその像の前を通り過ぎるのが怖かった。目も鼻も口もないのっぺらぼうのその顔が、だからこそ360度どの角度からも私を見ていて、私の一挙手一投足に目を光らせ(眼などないのだが)、何か1つでも粗相があれば頭の上に天罰を下してきそうだったから。

 お婆ちゃんはハイカラな人だった。ハイカラなんて言うもんじゃない。なんて言えばいいかな…変わった人……奇抜……そう「奇想」!奇想な人だった。私が小学生くらいの時だったかな。一度だけプレゼントをくれた。
「晶子ちゃん、手を出して。お婆ちゃんがとびきり良いものをあげる。」
そう言って私の手の上に乗せたのは一匹の玉虫。
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
思わず放り投げると、その玉虫はひっくり返ったまま一向に動かない。おかしいと思ってよーーく見ると、それはブローチだった。
「ふふふ。晶子ちゃんったら本当の虫さんだと思った?」
お婆ちゃんはいたずらっ子のような無邪気な顔でブローチを再び私の手に乗せてくれた。
「なーんだブローチか。お婆ちゃんの意地悪…」
と言って掌に乗せられたブローチをよーく見ると、それは玉虫型のブローチではなく、本物の玉虫を使ったブローチで、私は再び「うわぁぁぁ」と叫んで放り出した。
「そんなのいらない!!!お婆ちゃんのバカ!!!」
と泣き出す私に、お婆ちゃんは、
「あら、残念。こんなに素敵なブローチ他には中々ないわよ。でもまだ晶子ちゃんには早かったのかしら。」
と言ってそのブローチを自分の胸元につけた。
「欲しくなったらいつでも言ってね。これは晶子ちゃんにあげようと思って買ったものだから。」
私はそんな虫を使ったブローチなんてたくさんある訳ないし、何歳になっても玉虫のブローチなど欲しくなる事なんてないと思って、立ち去るお婆ちゃんの背中をずっと眺めてた。

 お婆ちゃんの家には不思議なモノ、変な人がたくさんいた。1階には、着もしないのに纏足とかコルセットとかが置いてあって、書斎には昔の時代のファッションを紹介する書物がたくさんあった。「これなあに?」と聞くと、お婆ちゃんはそうした衣裳がどんなものだったか教えてくれた。その時、いつもお婆ちゃんは遠い目をしていて寂しそうだった。そして最後にいつも言うのだった。
「晶子ちゃん、人はね誰もが自由を身に纏っていいのよ。」
どうしてそんなことをお婆ちゃんが言うのか幼い私には分からず、ただ「自由を身に纏う」という言葉だけが呪文のように私の耳に残り続けた。
 2階はあまり行きたくなかった。だって裸にロープを巻き付けた変な彫刻があったり、お婆ちゃんの衣裳部屋には鳥の剝製がそのままついた帽子とか、とにかく奇妙なモノが多くて、正直言って怖かった。でも、どれもこれも”へんちくりん”なのに、お婆ちゃんのことも、この家のことも、不思議と嫌いになる事はなかった。「落ち着く」とか「和む」ことはないけど、いつも心がザワザワする感じがして、なんだかそれがクセになった。
 ある時お婆ちゃんの誕生日祝いに多くの人が集まった。その時の会食…あの夜は本当に不思議だった。今では夢だったのか現実だったのか曖昧になっている。黒地の布に背中に黄金に輝く馬があしらわれたケープを纏った老人、ショッキングピンクのドレスを着た美しい女性…なんていうのは序の口で、ほとんど裸同然のドレスを着た人や、髪の毛で作ったドレスをお婆ちゃんにプレゼントする人もいた。たくさんの人の香水の匂いが混じり合って私は気分が悪くなって晩餐会の途中で子供部屋に戻った。遠くで食堂からの笑い声、食後に音楽とダンスに興じる大人たちの喧騒をぼんやりと聞いていた。目を閉じるとショッキングピンクのドレスの残像が瞼の裏で蛍光の緑色に発光して踊っていた。あの時来ていた人たち…どんな顔だったろう…。

 お婆ちゃんの家にあったあの数々の服、彫刻や絵画が「シュルレアリスム」という芸術運動の中で生まれたものと知ったのは、お婆ちゃんが死んで家の中の物をどうするかという時だった。私は既に30を5つも過ぎた年になっていた。大学生になってからお婆ちゃんの家に行くことはほとんどなくなっていた。だから久しぶりにお婆ちゃんの家に行った時、昔からあった家とは別に大きな倉庫が建っていたこと、そこにさらに奇抜な服や靴が所狭しと置かれていたことに驚愕した。異常なほどにソールの高いハイヒールから、茶色、黒、シマウマと様々な馬の毛皮を使って作られたパンツ(しかも人間ではなく馬の足そのもののシルエットなので人間は穿くことはできない)、鶏が餌をついばむ姿をそのまま形にしたようなヒールなど、幼い頃に見ていた物からさらにエスカレートした品々が並んでいた。私が遊びに行かなくなってからもお婆ちゃんの「自由を身に纏う」ことのへ狂気は、ずっと、ずっと、老いてもなおずっと、この館の内で蠢き続けていたのだ!!!

「これがお婆ちゃんが最後に買ったものだよ。」
伯父さんが見せてくれたのはたくさんの玉虫の羽がソール部分を覆いつくしたハイヒールだった。
「玉虫…。」
私はハッとして母屋に戻ってあちこちのタンスを漁った。お婆ちゃんが一度だけプレゼントしてくれて受け取らなかったあの玉虫のブローチ。あれはどこに行ったのか。しかし、探せども探せどもあのブローチだけは出てこなかった。まさか玉虫が飛んで家から出て行った訳でもあるまい。もしかしたら、玉虫のブローチなんて最初から存在していなかったのだろうか。あの時の事は夢だったのだろうか。
家中を探し回った挙句「ない」という事だけが分かった私は、一人玄関のエントランスロビーの真ん中で佇んでいた。不意に涙が溢れた。葬式の時以上に深く深くお婆ちゃんがいなくなったということを実感した。
「お婆ちゃん、、、ごめんね。」
そうつぶやいた瞬間だった。

ピカッ‥‥バリバリッバリッッッ!!!!!
「きゃぁ!!!」

階段の踊り場の窓から差し込んだ強烈な稲光、その直後に館中に雷鳴が轟いた。私は突然の雷に思わず悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。そしてそのままふと顔を上げた時、遠くから光る稲光に煌々と照らされた「のっぺらぼうの女神」が私を見下ろしていた…ように見えた。

「天罰だ。」
そう呟いた。あの時お婆ちゃんのブローチを受け取らなかった私に、数十年の時を超えて今天罰が下ったのだ。お婆ちゃんも、ブローチも、あの時の思い出も、全部全部この「のっぺらぼうの女神」が召し上げてしまったのだ。

私はトボトボと食堂に向かった。そこでは親戚中が集まってこの家と、お婆ちゃんが残した「奇想」な品々をどう処分するかの検討がなされていた。
「ダメ!絶対手放しちゃダメ!!」
気付くと私は叫んでいた。両親も兄妹も、伯父さんも叔母さんも、みんなギョッとしてこちらを向いた。
「手放しちゃダメって言ったって、こんなもの残しておいてどうなる?」
「でもダメなの。自由が……自由を…そう、自由を手放したらダメなの。」
「何を言ってるんだ。」
「お婆ちゃんずっと言ってた。自由を身に纏えって。」
「あんな奇抜なモンを着ることが自由という事なのか。」
「奇抜だから自由とかそういう事じゃない…多分。お婆ちゃんは…この現実も、夢も全部…全部超えて行きたかったんだと思う。」
「お前、さっきから何を訳の分からない事を言っているんだ。」
確かに自分でも訳が分からないことを言っている自覚があった。でも間違っていないという感覚もあった。私は興奮していた心を落ち着かせて、さっきから頭に浮かんでいたアイデアを口にした。

「パーティーを開きましょう!お婆ちゃんがそうしたように。お婆ちゃんが残してくれた”こんなもの”、他では中々見られないんだもの。たくさんの人に見てもらいましょう!」

 私はそうして準備を進めた。絵画、彫刻、帽子、シュルレアリストたちによるポスター、アクセサリーなど、かつてお婆ちゃんが飾っていたように、新たに飾り直した。新しく建った倉庫の方に置かれていた現代作家の作品も知り合いのキュレーターに協力を依頼して、一番素敵に見えるように飾ってもらった。
 全ての準備が整った夜、私は一人エントランスロビーに残った。明日からはこのパーティーに招待した人、人づてにこのパーティーの事を知った人たちが訪れる。一人でゆっくりこの家にいる時間は当分ない。しばらく一人でお婆ちゃんが残した夢のような空間に身を浸していた。「のっぺらぼうの女神」は相変わらず無表情だが(顔がないから当たり前なのだが)、不思議と今日は穏やかに見える。小さい頃に感じた厳粛さも、雷の光に照らされた時の畏怖も感じられず、今日は優雅に踊っているように思えた。
 階段の踊り場の窓から月明かりが射したその時、何かが部屋の隅で光るのが見えた。
「あんなところに何かあったっけ。」
そうして部屋の隅に行った私は「あっ」と叫んだ。
そこにはどうしても見つからなかったあの玉虫のブローチが1つ、まるでずっとそこに在ったかのように置かれていた。
「いつからここにあったの…。」
昼間もこの辺りの飾りつけをしていて、その時には玉虫のブローチなどなかったはずだ。しかし、今たしかに目の前にそれは在り、昔見た時と変わらない光を放っていた。私はようやく見つけた喜びで手に取ろうとしたが、寸でのところでやめておくことにした。今私が取り上げて私の思い出の中にこの玉虫を閉じ込めておくより、ここに置いておいて明日からこの家を訪れる客をあっと驚かせてやりたいと思ったのだ。お婆ちゃんが私にしたように。

*****

パーティーは名付けて「奇想のモード」。
皆様、ようこそいらっしゃいました。

(おわり)

======================

これは東京都庭園美術館で開催中の『奇想のモード』展に着想を得て創作した短編小説です(実際の展覧会とは関係ありません)。
展覧会については公式HPをご参照ください。

『奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム』
東京都庭園美術館
2022年1月15日~4月10日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?