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レゾンデートル

CPUは眠らない。かつて人間だったころの夢を見たのは、ぶっ壊れたSSDのせいだ。

惜しみなく燃料を食わせた暖房で温めたリビングで(温熱感知器もとっくにイカレちまった)、初等学校に通い始めた娘が絵日記をしたためたノートを両手いっぱいに広げている。

「パパ、みて! かいたくちのおうまさん! あたし、この子となにしたとおもう?」

「乗馬かな? 餌やりかな? ヒントはあるかい」

「えー、どうしようかなあ」

キッチンからミルク煮のいい匂いが漂う(俺に微粒子分析器は搭載されていない)。妻の得意料理だ。

「アリューゼ、あんまりパパを困らせないでね? あなた、きっと驚くわ」

カウンターの向こうでセリンが笑う。

「はーい、ママ」

アリューゼも笑う。

「なんだろう。楽しみだな」

「それはね……」

アリューゼが日記のページをめくろうとしたその時。

『BEEP! BEEP!』

チャイムが鳴った。

「おじちゃんだ!」

娘はノートを小脇に抱えて、玄関に向かってしまった。

そうだ。兄貴もやっと、博士と呼ばれる身分になったのだ。だから、家族みんなでお祝いしようとして……。

――――

暴走する記憶装置を宥めたのは、雨だ。頬が濡れていた。俺は涙滴表示できない。

「……」

ファッキンあほSSDめ。こんな昔の夢じゃなくて、直近の記憶を引き出せないものか。なんで、俺は、路地裏でうずくまっていたんだ?

悪態をついたついでに錆びた脚で立ち上がった。それで違和感に気付いた。この脚、暫く油を挿していない。軋むはずだった。

「……」

クソったれ! 目の前の壁を殴れば、煉瓦のテクスチャにモノクロームなノイズが走る。俺にペアレンタル・コントロールはもう必要ない。

人工水晶体が色を認識しなくなって暫く経つが、今度は音声認識ときやがった。気は進まないが、アリューゼの工房でメンテナンスされるほかあるまい。

俺は頭を抱えて歩き出した。もう味わえない、二日酔いじみた気分だった。

【続く】