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春の歌 十選(二) 年のうちに 春は来にけり

和歌と現代語訳

ふるとしに春たちける日よめる  

年のうちに 春は来(き)にけり ひととせを
去年(こぞ)とやいはむ 今年(ことし)とやいはむ

古今和歌集  在原元方(ありはらのもとかた) 

現代語訳は、

新年になる前に立春を迎えた日に詠んだ歌

年内のうちに 春が訪れた この一年を
去年と呼んだらいいのだろうか 今年と呼んだらいいのだろうか

『古今和歌集』の巻頭の歌です。

陰暦では、立春の前に正月が来るときもありますし、後のときもありますし、同じ日のときもあります。

現在の太陽暦では、立春はだいたい2月4日頃ですから、正月の1月1日より後であるのは決まっています。

でも、昔の陰暦ではそうとは限らなかったんですね。

今の私たちにとっては、暦が違うのでちょっと分かりにくいですね。

歌にある「ひととせ(この一年)」とは、立春以降、大晦日までの間を指しています。

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上の画像は、『古今和歌集仮名序』(巻子本)。仮名序の冒頭部分です。
国宝。大倉集古館蔵。

和歌の達人?! 在原元方(ありはらのもとかた)

在原元方は、歌人として活躍しました。勅撰和歌集にたくさんの歌が入集されています。

『古今和歌集』に14首、『後撰和歌集』に8首、『拾遺和歌集』に2首、『新古今和歌集』以下の勅撰和歌集にも9首が載っています。

家集には『元方集』がありますが、断片的に伝わっています。

歌に巧みなのは、祖父が、六歌仙、三十六歌仙のひとり在原業平(ありわらのなりひら)だからでしょうか。

在原業平と言えば、『伊勢物語』の主人公。都ではプレイボーイとして活躍していた男ですね。

春の歌十選(一)でも書きましたが、将来の后として育てられていた高子(こうし、たかいこ)に恋し、大胆にも略奪して都からふたりで逃亡。

しかし、途中で高子の兄たちにつかまってしまって、都に連れ戻されてしまいました。

こんな業平を祖父に持つ元方(もとかた)も、勅撰集にたくさんの和歌が載せられているのをみると、感受性が豊かだったのでしょうか?

ややこしい暦

この時代、暦が入れ替わる時期であったようです。

昔の暦については詳しくないのですが、いろいろな暦が使われていたようで、変更も珍しくなかったようですね。

暦というのは、国家(当時、政権を担当する貴族たちに「国家」という意識があったのかどうかは分かりませんが)の時間を規定する、政権にとってとても重要なものです。

中国でも古代から暦は国家の根幹として重要視されてきました。中国に限らず、世界中の文明でそうなのではないでしょうか。

面白くない歌?!

『古今和歌集』は初代の勅撰和歌集という極めて重要な和歌集です。

その巻頭を飾る歌ですから、気合いを入れた歌のはずです。

その歌が、
「まだ年内なのに、もう春が来た。この一年を去年というべきか今年といべきか」
という内容って、なんとなく違和感あります。皆さんはどうお感じでしょう?

この歌に初めて接したとき、わたしは「あまり面白くない歌だな」と思いました。

太陽暦で過ごしている私たちにとって、旧暦の感覚は馴染みが薄いということはもちろんあります。

それを差し引いても、ただ事実を述べているような感じで、「だから、どうした?!」という印象でした。

時間が経って、再び接したときは、少しは暦のズレに焦点を当てて鑑賞できるようになり、「何となく面白いな」という感じには変わってきました。

呆れ返った無趣味の歌

同じように感じている人はほかにもいて、明治時代の正岡子規もそうでした。

子規の『再び歌よみに与ふる書』に、この歌についてこうあります。

「古今集といふ書を取りて第一枚を開くと直ちに「去年とやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る、実に呆れ返った無趣味の歌に有之候。日本人と外国人の合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしゃれたると同じ事にて、しゃれにもならぬつまらぬ歌に候」

意味は、
「古今集を手に取って1ページ目を開くと、すぐに「去年と言えばいいのか、今年と言えばいいのか」という歌が出て来る。実に呆れ返った無趣味の歌である。日本人と外国人との間に生れた子を「日本人と言えばいいのか、外国人と言えばいいのか」とシャレているのと同じことで、実際はシャレにもならないつまらない歌だ。」

日本人と外国人の間に生まれた子どもを「日本人と言えばいいのか!? 外国人と言えばいいのか!?」という例えは面白いですね。

当時、日本に外国人が増えてきたことも背景にあるのでしょう。

小林一茶も同様の感想を持ちました。

年の内に 春は来にけり いらぬ世話

『七番日記』(文化十三年十一月)にある句です。

確かに、年内に春が来ても来なくても、いらぬ世話ですね。

子規や一茶でさえ「くだらない歌」と言っているのですから、とりあえずそうしておきたい気持ちですが、この歌を賞賛している人もいます。

藤原俊成です。

「この歌まことに理(ことわり)つよく又おかしくもきこえてありがたくよめる歌なり」と褒めています。

興味深いことに、『続後撰和歌集』の巻頭歌は、俊成の「年内に春が来た」という歌です。(下の和歌)

年のうちに 春立ちぬとや
吉野山 霞かゝれる 峰のしら雲


(現代訳)
年のうちに、立春になったそうだ
吉野山の霞のかかった峰には、白雲が出ている

年はまだ改まっていないけれど、吉野山には、霞がかかり白雲が出て春のようだ、と詠んでいます。

なぜ“くだらない歌”が巻頭に?

ではどうして、「くだらない歌」(この歌が好きな人、申し訳ありません)と思っている人が少なくないのに、初代勅撰和歌集という重要な和歌集の巻頭に入ったのか?

私なりに、みっつ考えてみました。

1. 暦は天下国家を統(す)べる基本中の基本という考え方から、巻頭に置いたのではないでしょうか。

社会は暦によって動き、民は暦によって生活し仕事します。

これほど重要な暦をテーマに、貴族らしい趣で和歌を読み、勅撰和歌集の最初に置くのは、政権を担当する貴族としてあり得るのかもしれません。

2. 詠み手の元方は、当時、最大の実力者ではなかったかということ。実力者が詠った歌ですから、冒頭に置いて敬意を表したのかも。

3. ひとつ目と少しかぶりますが、暦をテーマにした歌を冒頭に置くことで、勅命を下した醍醐天皇にとっての「新しい世の幕開け」のような気分を出したかったのではないか?

どうでしょうか?

皆様の和歌鑑賞のとっかりになれば幸いです。

※和歌の現代語訳のなかには、筆者(蓬田)による意訳もございます。
※間違いや違う解釈がありましたら、ご教示ください。
※画像はWikipediaより引用しています。

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