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大切な命が教えてくれたこと
かれこれ2年前、このnoteを
投稿するんだとやる気に満ちて始めたのに、
殆ど投稿することなく月日が経っている。
子どもの体調不良や、日々の仕事、家事の疲れから、時間がないと理由をつけては
「やはり今の私には無理か……」
と、まわりの環境のせいにして
自分が行動に移さなかったことを
仕方のないことのように正当化しようとしていた。
立ち上げたブログもサーバー契約期間が終了、気づけば
今年はパソコンに向かっていなかった。
言い訳にしかならないが、
確かに去年は仕事からプライベートのことまで多忙だった。
休息を優先して、頑張ろうと思っていた副業から目を背けていた。やっぱり無理だったなぁーと軽い気持ちになってしまった。
何か違うもののほうが合うのかな?
なにしても中途半端だしなぁ……
そんな思いだけ片隅にへばりついたまま、
昨年末に、妊娠していることがわかった。
わかった時はとてもとても嬉しかった。
双子の娘は4歳。弟か妹ができたら
喜んでお世話したり遊んでくれるだろなと
想像をしながら家族で喜んだ。
でも、さらにお金も必要になるし、
まだまだローンは残ってるし、
一度諦めかけていた副業を、本腰入れてしないとなと主人と話していた。
ある日「俺がブログしてみるわ」と
主人がたくさんブログやアフィリエイトの
本を買ってきて読み始めた。
「母ちゃんは仕事もフルで頑張ってるし、帰ってからもご飯から家のこと全部やってもらってるから、する間ないって。しても身体こわす。俺が勉強してやってみたほうがいいと思って。」
と言って、洗濯や双子のお風呂などまで
してくれるようになった。
主人もいろいろと考えてくれて、
諦めていた自分に腹が立った。
こうしちゃいられない。
妊娠をきっかけに、また頑張ろうと一致団結していた。
でも、実際は順調ではなかった。
妊娠が判明してから産婦人科に行ったが、
生理から換算すると6週の予定だが、
袋が見えるだけで平均より小さく、
赤ちゃんの拍動も見えないほどだった。
「排卵日のズレは誰にでもあるから、一概には言えないので、また来週来てくださいね」
と先生。一週間後がとても長く感じた。
妊娠陽性反応が出てからずっと
右の下腹部がチクチクと痛み、
違和感があった。検索すると、妊娠初期には
生理痛と似たような症状も出るとあり、
それかなと思っていた。
双子の妊娠の時よりつわりも殆どなかった。
食べないと気分が少し悪い程度で、
今回は食べづわりかなと軽く思っていた。
次の週の診察では
「これが袋(胎嚢)かな、赤ちゃんのようなものも見えていますね。でも動きはまだ確認されないですね。また来週来てください」
と言われ、ますます不安になった。
主人には早めに職場に報告をと言われていたが
はっきりするまでは報告したくなかった私は
まだ上司に言えずにいた。
次の週、緊張しながら、内診台にのった。
胎嚢の中の赤ちゃんらしきものは少し動いていた。
ほっとしたが、週数より小さいという
先生からの言葉が不安だった。
特に安静などの指示もなく、
自分では無理していないつもりだったが、
後から振り替えるとけっこう動いていたようだ。
職場も患者さんの移乗介助、トイレ介助から
入浴介助も手伝っていた。
帰ってからはご飯を食べる以外は寝るまで
家事や保育園の準備、家の掃除などで
立ちっぱなし動きっぱなしだった。
右の下腹部の痛みは股関節の近くのような感覚もあり、
骨盤の動きから痛みが出てるのかな
と思っていた。
次の週の診察。
「これが赤ちゃんかと思うんだけど、動きが確認されないね。この横の黒いのわかります?血腫ができてます。何か子宮を強く収縮するような動きをしましたか?」と。
先週動いていたのに動きが確認されない
どういうことだ?
血腫?それでお腹痛いのかな……
前述したように思っている以上に
動いていたため、
思い当たるところが幾つもあった。
「大きさも先週と変わってないなぁ、
稽留(けいりゅう)流産の可能性があるので、来週また診察に来て下さい。自然に出てくるのが身体にはよく、1ヶ月は待ちますが、それ以上は待てないので手術で排出することになります。」
あまりにも先生の話の展開が速くて
ついていくのに必死だった。
もっと早く職場に報告していたら……
家事を手抜きしてでも休養を優先しておけば
成長していたかもしれない……
とてつもない罪悪感だった。
私以上に心配していた主人は、
その日からさらに家事を手伝うようになった。
職場にも現状を報告し、重たい介助などは
セーブさせてもらった。
稽留流産、聞いたことがなく、
夜な夜な検索しまくってしまった。
体験談の中には、実は成長していた!
心拍が確認されました!という話もあり、
つわりも軽いけど続いているし、
もしかしたら成長してるのかも、
と期待や勇気も湧いてきた。
でも期待とは裏腹に増えていく腹痛。
腹痛で、動けず
翌週の診察まで不安に耐えきれず、
中頃に再度診察しに行った。
生きているのか、もう無理なのか、
はっきりしないまま過ごす1日1日が
長く長く感じた。
早めに入れた診察でも、やはり
赤ちゃんの大きさは変わらず
血腫が大きくなっていた。
血腫は大きさについては
赤ちゃんが生きていれば慎重になる必要があるが、
「赤ちゃんは残念ながらやね……流産には血腫はつきものだから、大きい小さいはそこまで気にしなくていいよ。子宮が収縮すると痛いからね、痛み止め飲んで我慢しないでね」
と女医の先生。(※私が通っている産婦人科は先生が交代制でよく変わる所ですが、どの先生も優しいです。)
不明瞭なことがはっきりわかると
少し安心した。と同時に、
やっぱりだめだったのかぁ……
大泣きした。主人に電話して報告した。
帰りの車のなかで泣き叫びながら帰ったのを
覚えている。その後は身体が不安から解消され少し楽になった。
楽しみにしていた両家の父母も報告した時は
驚いていたが、「無理しないでね」と
優しくサポートしてくれた。
あとは、赤ちゃんが自然に出てくるのを待つこととなった。
腹痛はあるが、仕事はでき、食欲もあった。
手術になったらどうしようという不安と、
自然に出てきたときに赤ちゃんをキャッチできるかが不安だった。
先生に「稀に「胞状奇胎」というものだったら治療も変わってくるため、もし胎嚢のようなものがでてきて持ってこれそうなら病理検査にかけるので持ってきてください」と言われていた。
胎嚢って出てきたらわかるかな、
不安だらけだったが、とにかく普段通りの生活をし、
なるべく無理は避けた。
診察から4日後の夜から出血が始まった。
子宮を握りつぶされているような強い痛みが夜中に続いた。
さすがに仕事ができる状態ではなく、
病院に向かった。
それが投稿している今日の朝。
経膣エコーで見ると、子宮の入口まで
胎嚢が降りてきていた。
「長引いてもいけないので、今から除去術をしますね」と先生に言われてすぐに胎嚢を先生が排出してくれた。
「子宮は何もなく異常はないですよ。痛みも落ち着いてきますからね」と
内服薬を処方され帰宅。
今はまだ出血が続き、痛みが続いているが、
お腹の痛みはだいぶ落ち着きつつある。
子宮へのダメージは大きくなかなか
動けず横になっている状態の今、
ゆっくりとこの投稿を書いている。
たまたま主人が休みの日だったため、
双子もみてくれ助かっている。
妊娠がわかり約1ヶ月の間の出来事、
その間に今までの生活の在り方、
自分自身の在り方はこれでよいのか、
深く考えるきっかけとなった。
家族の大切さ、今までの当たり前が
とても尊いものと感じた。
短い時間だったけど、お腹の中に
来てくれたわが子は私たち家族に
たくさんのことを教えてくれ、
気づかせてくれた。
今をもっと大切に生きなさいって
教えてくれた。
「ショックやし、寂しいし、可哀想な子やったけど、あなたの、そして家族の厄を持って行ってくれたんだと思う。しっかりと守ってくれた豪の虎、今年は優しい虎になるって言うてたから、みんなを守ってくれたんやと思う。身体大事にしてね。」
義母が送ってくれたメッセージ。
私は今年本厄の年で、厄除け祈願に行った矢先の出来事だった。
そして4年前の今日は、双子を妊娠し
つわりがひどく始まった日であったことを
思い出した。
双子はアレルギー持ちではあるものの、
元氣に優しい子に育ってくれている。
今以上に大事に育てなさいって
赤ちゃんが教えてくれた氣がする。
産んであげられなくてごめん。
でも、私たち家族を選んできてくれて、
本当にありがとう。感謝しきれない。
副業の話からこんな話になってしまったが、
行動に移すべきタイミングを与えてくれたんだと思う。
諦めて中途半端になっていることを
少しずつでも前進させていこう。
これから自分なりにたくさん行動に移していきたい。
流産の事は、シビアな内容だけど、
私自身、何もわからず不安な時に
体験談などを発信している方の情報で
安心することもできたし、
今後自分にどんな変化が起きるのか
漠然とながら知ることができたし、
本当に不安が和らいだので、
今回の稽留流産の経験はもう少し整理して
投稿したいと思っている。
誰かの役に立てれば幸いです。
トップの画像は
o_kaoru777さんの画像を使わせていただきました。ありがとうございます。
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