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運命の呪い

本気で死のうと思ったことが、過去に4回ある。ふと「死んでしまおうか」と思ったことは、日常的に何度もあるけれど、真剣に死を思って企てたこと、未遂であったけれど実行したのは、大体その4回かなと思う。

それらのいずれかの瞬間に確実に死んでいたら、今の私はいなかったのだと思うと、不思議な感じがする。

もしも私が死んでいたら、夫は別の女の人と暮らしていて、もしかしたら子どももいたかも知れない。市松は、私がネットで見つけたことがきっかけだったので、恐らく彼だけでは、市松と出会うことは難しかっただろう。

私の実母はよく、お盆時期に人が亡くなったり、近所で誰かが亡くなったり、大規模なテロや殺人事件のニュースを見ると、きまって「運命だったのよ。あの人たちの命は、そこで終わる運命だったの」と言っていた。芯から冷たく、でも自分は子どものためを思って言うべきことを言っているというような、大人の嫌なところを凝縮したような言い方だった。

今はだいぶ鈍ってきたけれど、私は幼い頃から感受性がとても強く、知らない人の死であっても、誰かが死んだとニュースで見るだけで、悲しくてわんわん泣く子どもだった。母は、「どうして死んじゃったの?どうして?なんで?」「あの人たち、なにも悪いことしてない人たちじゃない」そんなことを言いながら泣きじゃくる鬱陶しい私をあしらうため、母は「運命」という言葉を用いたのだった。

だから今、私は「定め」とか「運命」という言葉を聞くと気分が悪くなる。

食べ、眠り、遊び、部屋中を駆け回る市松、彼と市松が寝転がってぐうぐう昼寝をしている光景を見ていると特に思う。世の中には無数の運、縁というものはあるけれど、最初から決められたことというのは、ほとんど存在しないのではないかと。彼と市松と暮らしている今は、運命によって事前に用意されたものではなく、いろいろな選択と戦いと運が積み重なった結果、私たちがたどりついた場所なのだろうと思う。

幼い頃から、私には、無理だと思っていた。愛のある家庭で生活すること、誰かに愛されること。彼と出会ってからも、入籍してからも、いつか彼は私を捨ててどこかへ行ってしまうのだろうと信じて疑わなかった。

「あなたはそう美しくないから、結婚は難しい運命にあると思う」「頭が良くないから、夢なんか見ても無理よ。絶対失敗する。それがあなたの運命なの」そんな母のかけた運命の呪いは、人生の至るところで私を支配した。

けれど、生き続けていく内に、私にも気づき、分かることがあった。この世に、運命なんてものはないし、なにもかもが全部うまくはいかないけれど、毎日ではなくても、毎月いくつかは小さな良いことがあり、年に1回くらいは思ったようにうまくいくこともある。そこに重ねた努力と、少しの運があれば、さらに人生が確実に前へ動き始めること。

おとぎ話の悪い魔女がそうしたように、母からかけられた呪いは他にもいくつかあるけれど、この運命の呪いについては、乗り越えられたと思っている。

もし子どもの私が目の前にいて、悲しいニュースを見てわんわん泣いていたら、私は、彼女と一緒にわんわん泣くことを選ぶ。運命以外に、理由も原因も罪も、因果応報なんかももちろんない。人が死ぬこと、死のうとすることは悲しいから、涙が出る。さらにもし、子どもの私に触れられるなら、私は彼女を抱きしめて頭をなでてあげたい。「それでいい。そのまんま、感じるままでいい。落ち着くまでいくらでも泣いていい」と。

そんなふうに「それでいいんだよ」と、私は母に言ってほしかっただけなのだろう。「なんで?」「どうして?」と、しつこく聞きながらも本当は、子どもの私は、それに対する理由や答えが欲しかったわけではなくて、ただ気持ちに寄りそってほしかったのだと思う。

パソコンの脇で、手足をぐーんと伸ばし、茶色がかった黒の毛が覆う柔らかなお腹をゆっくりと上下させ眠る市松を見ながら、そんなことを思った。


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