流行、逃避、とか

ガスの開栓が何時に来るかわからないので早起きした。それでなんとなく流行りについての記事を眺めていて、流行りから静かに全力逃避していた私に思いを馳せたりした。

元々みんなと同じがあまり好きじゃないのだ。それに、流行として日々のど真ん中や最先端にいるものたちにときめくことがただただ少なかったのだ。

それはそう。 
でも、きがつくと、わざわざそういうものから逃げるように過ごしていたのも、そう。

好みに近いデザインが流行りだして目に触れる機会が増えても、なんとなく手に取るのは躊躇った。流行りの音楽もわざわざ聴いてみようとはしなかった。

その時良いとされているものから中途半端になんとなく外れている自分のために、その上いつもどこか「別」で在りたいとも思っている自分のために。昼休みはひとりで散歩して用務員さんと喋って、空き部屋で歌ってひとりご飯食べたりするような学校生活とか送ったりしたんじゃないかしら。

どうせ上手くいかないし、その「上手く」も自分の理想とも言い切れない。下手くそでわかんなくてちょっと寂しくてひねくれてたくて、よくある形からちょっとずつ逃げてた。普通っぽいことから来るなよぅって早歩きで離れてた。

自分を保ちたかった。
顔を囲って国家から独立しようとしてる、みたいな、あれ。ほんとに似た類かもしれない。

っていうだけの文章をぼんやり浮かべてたのはお昼頃。
ガスの開栓が済んで引越し先のタイ料理屋でグリーンカレー食べて、部屋の間取りと荷物と格闘した。

そしたら思い出した。父との散歩。

私、いつも歩きながら木に挨拶したり、猫とか鳥に話しかけたりする。
これ、私の日常。自然。いつものやつ。でもたまに、少し前の普通から逃げてた自分を思い出して、もしかして、わざとやってる?変わったヤツ、しようとしてる??って真剣に考えたりしてた。

で、年末年始に家族のところに行った時。朝父と散歩をした。歩き始めてすぐに、父は1本の木の前で立ち止まった。いつも挨拶してるんだ。と言って両手で樹に触れておでこをくっつけた。
それからまた少し歩くと垣根を指差してあの花がもうすぐ咲きそうなんだ、とか、あの実が色づいてきたとか、ハーブを触って手の匂いを嗅いだりとか、、なんだかうきうきチョロチョロしていた。

あぁそうだ、この人が、私の父だった。って思った。そうだよね、木って触るし話しかけるよね。いろんなものと交流しちゃうよね。ね。

結局また家族の話してる。

なんだ私、やっぱりそのままでこんな調子だったか。とか思ったってこと。
父はどこにも嘘がない人だから。

もう着地は無い。日記。
電車に乗って何度も中断してる内に今日は高円寺。信号待ちをしながらいろんな思想を巡らせてたけどもう書くのやめた。

なんか、まだあるきがするけど。出てこない。
おわり。

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