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自分の中の差別に気づく
演じることが すべてなんて
そんな真実いらない
正直だった ものたちの
ダンスは続いてる
私の好きな音楽家の寺尾紗穂さんの『たよりないもののために』という歌の歌詞だ。
演じることがすべて、そんな世の中。
自分は演じることができる子どもだったと思うし、今もできているつもりでいる。
演じる=空気を読んだり、あえて読まなかったりすること。
疑問は感じるけれど、今のところでは、こうしといた方が無難でしょ、という振る舞いが自分ではできてきたと思っている。
最近7歳の息子に、親としては気になる行動があり不安に襲われてしまった。
そんな中で気づいて驚愕したことがある。
私は『演じる』ことができない、もしくは『演じる』力の低い人を差別しているところがある。
以前、坂口恭平さんがこんなツイートをしていた。
生きていく価値がないと言う人は、なんと、生きていく価値がある人とない人がこの世にはいる、というずいぶん差別的な発言をしていることに気づいていないが、その言い方やめた方がいいと思うよ。自分に生きていく価値があると、認識した時にどうしようもない人間になるから。
人間は元気にならない方がいい。
こんな風に自然に、自虐のつもりの言葉の中に差別意識が潜んでいたりするのかと驚いた。
社会で生きていくために都合の良さそうな枠の中に生きること。少なくとも生きているように振る舞うこと。
価値ある人間になること。何者かになりたい。変な人だと思われたくない。そのままの自分なんかでいるのは、心許ない。
こんな価値観が、私の下地の部分に染み込んでるんだろうなー、はぁ、現代社会っぽいぞ。
さーて、そして、それってほんとのところ、そのままにしてて大丈夫そ???
と自分に問う。
いやいや、つらいっす。もういいです。そっち方面は。
気づいたので、正気を取り戻して、変わります。
ここでも「怖れ」について『ザ・メンタルモデルワークブック』で解体したことで不安の正体を解体できた。本当にこの本は凄い。
加えてこのタイミングで読んだ『君は君の人生の主役になれ』も親としての自分のメンタリティーをあぶり出してくれて非常に助けられた。
全親が読んだらいい。
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