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#68 自分の立ち居振る舞いを見つめる時

ちょうど終戦記念日の今日。
なぜか手に取り、読み進めていた本をようやく読み終えた
(KindleのAIさんのおすすめされた本を素直に読んでるだけなんだけど)
戦禍のなかを生きる人間模様を描いた小説を2冊も同時に読んでいて
結構重かった。。。しかも2冊同時に読んでたので

そういえば祖父が晩年話してくれた時の瞳を覚えている。
戦争中のこと、リヤカー?に乗せられて逃げたあの時の空の色etc
切れ切れに話す内容は、
家族とのつながりや温もりに包まれたかったという切なさと
空腹のひもじい思い、。

その時代を生き抜いてくれた祖父と祖母、
そして両親が生まれ、めぐり逢い私が生まれた。

私たちは、
高度経済成長の最後の方、
平等を求める社会で育った世代。

平等に憧れて?
平等を信仰して。

例えば
給食は残さず食べなさいの時代で
少食の私は紙皿と割り箸用意して
帰りの会まで机の上に給食があった…
掃除の時間にトイレにこっそり捨てに行ったり、友達にパンとか牛乳は食べて貰ってた
平等に分配?
日本人としての躾を平等に…?
(まぁ悪く言うと。よく言えばは今回は省略するが受ける恩恵の方が多く恵まれていた事)


筆箱に入れる文具も決まってた
2B鉛筆が4本と赤青鉛筆と消しゴムにさし

中学校高校は制服や髪型下着の色も決められてたっけ。


社会の至る所で
勝手にいろんな人の声を代弁し
みんなが豊かさに向かえるように底上げをしてくれた

その見えない側面は
みんなが豊かさに向かえるように配慮する優しさのために
いろんな制約や自主的な規制(同調圧力)をするようになった

戦争という苦しい時代があったから
誰もがそうならぬ様に平等に、
誰もが争いを起こさない様に平等に。

その道を辿るのは充当な気がするから
責めるべきものでも批判する思いもない。

たとえば戦禍の中で孤児になった運命の人も
それまで肩身が狭かったり
言いにくかった事とか
苦々しい思いをしていた事が露呈できるような社会に
なったのはこの道を辿ってきたから。

ただその平等を求める社会風潮の副作用で
勝手に代弁したり、先回りして決めたり
そうして貰ううちに
自分ってどんな気持ちなのか??

自分もそうしたいと思っていたのか??
見失い正しさや正義を傘に
覆い隠された自分という存在

その存在に焦点を当てて、検証してゆくのがこれからの時代。
もう次の時代。

例えば良い成績とっても、いい大学行って、良い就職して
就職先では組織に合わせて(ある意味自分を殺して)捧げる
と幸せになれる信仰のもと

その通りに大企業でバリバリ働いている事と幸せはイコールでは無い

いい年頃に結婚して子どもを産んで、いいお母さん
夕方子どもが帰ると手作りおやつ作っててたり、塾に送ってくれたり、1汁3菜でお野菜たっぷりよく噛んで礼儀正しく育てる…みたいな?
正しい母親像と幸せはイコールではない

そういうことを思い知って落胆?し
っじゃぁ正解や幸せの方程式は何か??と迷走する世代


テレビをつけると
バラエティ番組は志村けんやさんまやダウンタウンがめちゃくちゃな事してて
お腹抱えて笑ったり出来た。
が品がないとか?子どもには見せれないような番組だというクレームとか??

今、テレビでさえどのチャンネルつけても品行方正で平等なチャンネルしか無い気がする。

もはや社会の隅々にまで平等に品行方正さや正しさが行き渡るようになった。

そんな社会の平等に飽き飽きした頃

自分ってどうあると幸せなのか?を皆が模索している




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