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#86 千の風になって

人間が感知している部分は宇宙の中のどのくらいを占めているのか?

祖母が亡くなったと連絡を受ける。
96歳だったかな、
でも私の心の中にはまだ生きていて、瑞々しく話しかけてくる。

ずっと遠く離れて暮らしていて
この20年はどんどん会う回数も減ってしまい、
それこそお世話らしいことも、
これまでのお礼も何もせずのままの別れとなり
実感がないのも当たり前だ。

愚痴の一つも耳に届いてこなかったから。

どこかで「会いにいったり、手紙書かなくてごめんね」と言う思いと、

おばあちゃんの望んだ距離のとり方、
おばあちゃんに教えられた美しい礼節だったと。

「孫というのは、もうだんだんと会わなくなる、そういうもんだ・・」

可愛い孫をどこで手放し、真の自分の実力と向き合いながら、
そこからどうやって自分で生きる力を備え、
自信をつけて生きて生かせるか。
遠回しに背中を押された気がしたのも覚えている


先々月、入院したとの報を受けて
数年ぶりに会いにいったおばあちゃんの身体は

しばらく寝たきりだったのに、どこもかしこも柔らかで
足の指先まで温もりがしっかりと通っていた。

声もしっかりしていて
いつものように憎まれ口も叩いて、優しいまなざしだった。

おばあちゃんの1番身近な家族との関係を邪魔せずに
大事に思う私なりの密かな感謝のできた晩年だった気もする。



おじいちゃんが急に病気になり、
あっという間にいなくなった後

「千の風になって」の歌をうたい
いつもそばにいてくれてるとおばあちゃんが言っていた。

そして今、この瞬間はおばあちゃんのうたがたくさん聞こえてくる。

いつでも声やまなざしが返ってきて、温もりも感じる。
温もりに包まれて、温かい自分さえ感じることもできる。

身体が老いていったり、
亡くなってしまう事は大したことではないんじゃないかとも思う。


遺された家族に何を残してゆくか。
今あるこの身体で何をするのかしないのか?

人間の感覚や知識は、あらゆる認知の中の一部の僅かな面。
人間が感知している部分は宇宙にある無数の現象や感覚や認知の
ほんの僅かにしか過ぎないのだから

これからはようやく卒業できた自分の肉体から離れて
千の風になって
大きな空を吹き渡ってください
秋の煌めく光になって降り注いで欲しい
冬はダイヤのように
朝は鳥になって
夜は星になって

おじいちゃんと一緒に、手を繋いで。
見たい景色を見て
ゆったりと、おじいちゃんにチャチャを入れながら
そこに生きていてください。

ありがとうおばあちゃん。
いつまでも分けてもらった大きな温かさを忘れない。





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