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女の子みたいだったケンちゃんも女の子になれなかった私も、本当はガラスの靴を履きたかった

「ボク、これは女の子のものだよ。」

6歳の頃。フリーマーケットの一角に並べられたおもちゃの指輪を眺めていた私に、店番のおばさんは言った。

一瞬何を言われたのだか分からず顔を上げると、何の悪意もないおばさんの目が優しげに諭すように私を見ていた。

その目に映るのは、ブルーのフリースのパーカー、コーデュロイのブカブカしたズボン、襟足の寒々しいベリーショート。

顔が耳まで赤くなるのが分かった。


もっと小さい頃、私はディズニーの「シンデレラ」に魅せられていた。

キラキラの光の粒をまとった、清らかな淡いブルーのドレスにそれはもう憧れて、母親が気まぐれに買ってくれたパフスリーブの青いワンピースをツンツルテンの丈になるまで着倒すほどに。父親にシンデレラの絵本を無理やり読ませて「お父さんが王子様ね!」などと浮かれてみせるほどに。

その時の私は青いワンピースからパンパンに肥えた脚を晒すことになんの恥じらいも感じなかったし、王子様ごっこにまるで付き合ってくれなかった父親が金銭感覚のイカれ狂ったモラハラ大魔王であることも知らなかった。

でも。「ボク」と呼ばれた日、家の姿見でマジマジと自分の顔を見た。おばさんが私を「ボク」と呼んだのは、別に私が「男の子」らしかったからではない気がした。下膨れの丸い顔。眠そうな瞼。重たそうなたらこ唇。手の指や腿はムクムク太っていて、いかにも鈍臭そうな。

「男の子」っていうのは、もっとスッキリして、精悍で、鋭利なものだ。だけど私は、「女の子」のように、しなやかで、可憐で、華やかでもない。

私は、「女の子」でも「男の子」でもない、小間抜けな動物だ。気づいてから段々と私は、シンデレラに、お姫様に、女の子に憧れていることを隠すようになっていく。


だから、幼稚園児の私が出会った「ケンちゃん」の強烈さと言ったらなかった。

ケンちゃんは一つ年上の、古のオタクのような言い方をすれば「生物学的には」男の子だった。でもケンちゃんはそこいらの女の子よかよっぽど「女の子」だった。

まず言葉遣いがとってもおしとやかだった。漫画や絵本の中でしか聞かないような「なのよ」「だわ」言葉を、ケンちゃんはそれはそれは巧みに使いこなしていた。お上品な身振り手振りで、考え事をするときは頬に人差し指を当てるポーズがお決まりで。

セーラームーンごっこでは何人にもセーラーマーズ役を譲らず、誰よりもマーズの必殺技の再現が上手いケンちゃんは生半可な女子たちを圧倒し、アルテミス役とかいう訳の分からないポジションに甘んじていた私はただただその堂々たる「女の子」ぶりから目が離せなかった。

小学校に進学してからは、引っ越したのだろうか、ケンちゃんと会うことはなかった。似合う似合わないにかかわらず、制服のジャンパースカートを毎日身にまとう日々の中、ある日、何がきっかけともなく、母にケンちゃんのことを尋ねる機会があった。

「あの子ね!よお〜く覚えてる!」

母は興奮気味に自分の覚えている限りのケンちゃんにまつわる思い出を、ここだけの噂話というような具合で吹聴してきたのだ。


みんながお部屋の中で遊んでる時に用事があって幼稚園に顔出したことがあったの。下駄箱にあなたの荷物を置いていこうと思って玄関口に行ってみたらケンちゃんが一人でいてね。

何してるんだろうって様子見てたら、リノちゃんの下駄箱からキラキラしたメロンの編み目みたいなサンダル勝手に取り出してさ。それをこっそり履いて女の子みたいなポーズ取ってたんだから。「ウフッ」って感じで…やっぱりあの子って「そう」だったのよねえ。


「そう」だったの意味が、何となく分かるくらいには、私も大きくなっていた。だけど、だけどそんなことはどうでも良くて。

私も脳内でその時のケンちゃんを想像してみた。

棒のように細く真っ直ぐな脚の先を包む、キラキラしたメロンの編み目みたいなサンダル。それは当時の女の子の間でとんでもなく流行っていて、透き通った宝石みたいな見た目から「ガラスの靴」と呼ばれていた。私も欲しくて、いよいよ欲しいと言えなかったガラスの靴だ。

日焼けた肌とくっきり境目のついた白い指先を覆う、チープで最高に可愛いキラキラをうっとり眺める。そして細部までこだわった「女の子」らしいしなやかなポーズをきめる。

そんなケンちゃんの姿を、私は多分、見たかった。

ケンちゃんがどんな大人になったか知らない。あれから一度も会っていない。

私はというと、下膨れの丸い顔と眠そうな瞼と重たそうなたらこ唇とムクムク太った太腿のまま大人になった。おとなになってからも、お姫様と女の子への未練が消えてくれなくてたくさんのお金をフリルとレースの服に注ぎ込んだりした。でも、大人の私の足にぴったりの、キラキラしたメロンの編み目みたいなサンダルは──ガラスの靴は、もう無かった。

ケンちゃんは、ケンちゃんの好きだったキラキラやフリフリを着るような大人にはなっただろうか。なれなかったかもしれないし、大人になる頃にはなりたいとも思わなかったかもしれない。

だけど、あの日、誰にも内緒で履いたガラスの靴は、ケンちゃんにピッタリだったならいいと思う。

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