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愛されて、「推し」は幸せだったろうか。

もうかなり前のTwitterでの話だが、私には忘れられないオタクがいる。

彼女の名前は仮にAとする。忘れられないといっても、私は彼女の友人で無ければ知人でもなく、相互フォローの関係ですらなかった。100%の混じり気ない他人である。

私が一方的にフォローしていたに過ぎない。彼女は小説を書くのが抜群に上手いフォロワー数千人の字書きで、対する私は細々と落書きを投稿するフォロワー数十人のアカウントだったので。

お互いの共通点といえばただ一つ、「推しが同じ」ことに尽きる。推しはとあるブラウザゲームのキャラクターで、コンテンツの看板キャラクターではなかったがそこそこ人気は高かったように思う。

Aは推しにそれはもう夢中だった。「愛していた」と言った方が、あるいは「信仰していた」と言った方がふさわしいほどに。

彼女もおそらくは私と同じく腐女子だったと思う。曖昧な言い方になってしまうのは、彼女が推していたカップリングが男プレイヤー×推しというやや特殊なカップリングだったためである。

ゲームはプレイヤー視点でキャラクターと触れ合うシナリオだったので、ある意味正統派の楽しみ方ではある。腐女子に理解の無い者からすれば、推しは男で書き手や読み手は女なのになぜ自己投影する人物を男にしなければならないのか意味がわからないかもしれないが、腐女子とはそういうところのある生き物なのだから仕方がない。

私は当時まだ学生だったが、Aはどうやら立派な社会人のようだった。ほぼ毎日呟かれる推しへの思いの丈や妄想はいつもハイテンションで、ごくたまの日常ツイートは愚痴や陰気な内容は一切含まない何気ないことばかりだった。

けれど私は、Aの生きる毎日には想像を絶するほどの悲哀がまとわりついていると半ば確信していた。彼女の二次創作小説における作風ゆえである。

A──創作内における「彼」は、外見の特徴もどのような能力を持った人物なのかも描写されない無個性な男だった。けれどいつも、死にたがりの心の弱い男として描かれていた。

創作はフィクションである。作者と作品をイコールで結ぶのは正しくない。でも、死にたがりの男の弱い心が傷つき震え惑う様はあまりに生々しすぎていた。弱い心をぶら下げたままかろうじて生きている彼にとって、推しという存在がどんなに眩しくて、美しくて、かけがえなくて、愛しいかがあまりにも繊細に記されすぎていた。

彼からの推しに対する思いの丈はいくらでも言葉を尽くして描写されるのに、推しから彼への感情は一切描写されないところが、私にはもどかしくていじらしくてたまらなかったのを覚えている。

そんな風だったから、Aがある春の日に「彼」と推しの結婚式を描いた同人誌を発行した時の気持ちと言ったら。

イベント終わり、重いリュックを抱えたまま私はちょっといい瓶ビールを一本買って帰った。荷解きもそこそこにAの1冊だけを食卓に置き、飲めるようになったばかりのビールをチビチビやりながらそれはもうじっくりページをめくった。

結婚式ネタです!と豪語していたのに、結婚式自体は最初の数ページで終わって、残り200ページは結婚後の二人の何気ない生活を語るに終始しているところがなんともAらしいと思った。二人は結婚し、ただ生きて、老いて、死んでいった。それだけのことを淡々と描いた200余ページだった。相変わらず推しの気持ちについては描写されていなかった。ただ二人は穏やかに生きていた。

同人誌で泣いたのはあれが初めてだったように思う。

いつからかこのコンテンツが終わりを迎える時のことを考えるとただ悲しいのみならず恐ろしくなった。ゲーム自体はいわゆるクリアやエンディングという概念が存在しないため、サービスが続く限りはAと推しの物語に終わりはない。でも、推しの登場するゲームは旬ジャンルといわれるほどに注目を集めたコンテンツではなかった。一部の熱狂的なファンに支えられていたが、いつサービスが終了してもおかしくないのだ。推しと会える世界を失ったとき、彼は──Aはどうなるのだろう?

不思議なことに私は、Aが推しと離れ離れになるような時が来るとしたらそれはゲームのサービスが終了する時だと思い込んでいたのである。

また春が近づいたころ、Aは新しいゲームを始めたようだった。それまでもAが時折他ジャンルについて語ることは珍しくなかったので、とくに気にも留めなかった。

最初は推しのつぶやきの合間に新しく始めたゲームのスクショが時々上がる程度だった。次に、新しいゲームの創作イラストをRTするようになった。しばらくして新しいゲームに登場する、Aが好きなキャラクターの名前をTLでよく見かけるようになった。やがてAが小説を投稿したのでいそいそと閲覧ページに飛ぶと、新しいゲームの作品ということも多くなった。次の季節の新刊は、彼と推しではなかった。新しく始めたゲームのキャラクター同士の、ほのぼのとした幸せそうな学園パロディ小説だった。

私のTLに知らないジャンルの創作がずいぶん増えたころ、推しの登場するゲームは3周年を迎えてささやかなお祝いムードだった。数少ないフォロワーたちがお祝いイラストやお祝いSSを投稿してひっそりにぎわう中、画像や小説の添付がないごくシンプルなつぶやきが流れていくのを見た。

「3年前はいつもほんのり死にたい気持ちにとらわれていて辛かった。でも今はどんな風につらかったかも思い出せない。推しのおかげだと思う。ありがとう。」

それからしばらくして、Aが「彼」と推しの小説を投稿することは無くなった。

じきに私も違うジャンルに移動した。アカウントから作り変えてしまったので、流行ジャンルですらなかったあのゲームが今どうなっているのか私の耳には届いていない。

こんなことをふと思い出し、先日Aのアカウントを探してみるとあっさり見つかった。名前もアカウントIDもそのままで、なんと今の私と同じジャンルにいるようだったが全く違うキャラクターを推しているようである。

「永遠なんて無いもんだなあ」と、当たり前のことを思った。

でも、だけど、それでも。今も私の本棚にはAの同人誌があって、「ほんのり死にたくなる気持ち」は空想世界で救われたまま閉じ込められている。200余ページの永遠の中で、「彼」は幸せなまままだ。

推しは、幸せだろうか。

空想世界でさえ終ぞ描かれることのなかったその気持ちは、私に分かりようもない。

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