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絵画を見て感じること・考えること 藤田嗣治と彼が愛した布たち展


こんにちは!昨日まさに会期を終了した展覧会なので、興味を持たれた方には申し訳ないのですが…。「藤田嗣治と彼が愛した布たち展」を観覧してきた感想を綴りたいと思います。

まずは愛してやまない彼のプロフィールから!(ウィキペディアより)

藤田 嗣治(ふじた つぐはる、1886年11月27日 - 1968年1月29日)は、日本生まれのフランスの画家・彫刻家。フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・ツグハル・フジタ(Léonard Tsugouharu Foujita、レオナール・フジタとも)。第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。エコール・ド・パリの代表的な画家である。

2年くらい前に彼の巡回展があったので極貧書店員時代だったけど、京都までわざわざ観に行った思い出があります。そっちは王道的な絵画がメインの展示だったのですが(日本所有でないものも多くてお目にかかれた感がすごくて大興奮でした!)、今回の福岡市美術館でのみ開催された「藤田嗣治と彼が愛した布たち展」は、その名の通り布という観点から藤田の生涯や作品を考える展示会で切り口がとても面白かったです。絵画の点数というよりは布から藤田の絵を見た考察や直筆の手紙、大切にしていた布や手製の洋服などが印象的でした。

自分だけのために自分で作る/自分を表現する

「金で買えるようなものは大嫌いになった。世界に1ツほかないというものを自分で作って用いたく思っている」

これは藤田が最初の妻トミに送った手紙のなかの一文です。展覧会の入り口には裁縫する藤田の自画像が迎えてくれたのですが、藤田は布を描くことだけではなく布を作って洋服などを作ることにも熱心だったようです。洋服はデザインから自分で取り組んで、着こなしやトミの洋服デザインではメイクまでトータルで考えられていました。藤田のあのユニークなちょび髭や髪型、服装もトータル熟考されたものなのだと再認識。きっと今よりもアジア人に対する偏見や差別もあったであろう、1910年代を芸術家として生き抜くための鎧のようにも感じました。生き方を衣服や容姿に表すことは一見するだけで「アジア人」だとか「男」だとか「女」だというわかりやすいカテゴリーから一歩自分を外に出して「藤田嗣治」とは何ぞやを可視化することなのかもしれません。

戦争画とその責任

藤田のことを学びたくて読んだ書籍に決まって書いてあったのが「戦争画」の問題。今回の展示のメインテーマは布であったにもかかわらず、藤田の展覧会をやるのであれば絶対に戦争画も展示したいという意向があったそうで、「神兵の救出到る」が展示されていました。いろんな説がある戦争画と戦後の戦犯扱いの問題ですが、もう書籍を読んでも色々な立場の人がその立場と考えで書いているので藤田の本当のことは分からない。だから、藤田のことが好きで「本当の彼」を知りたいのであれば彼の絵を見て感じるしかないと思うようになりました。

言葉も絵画も確かなものではないけど、少しでも真理に近付けるように自分の心を研ぎ澄まして。祈るような気持ちで彼の「神兵の救出到る」を見つめました。

絵画を通して当時のことを知ったり、現代に続くものを感じたり、未来に想いを馳せたり。今回の藤田展も大満足でした。結局2回行きました。2回目の展覧会を後にするとき名残惜しすぎたのですが、またどこかで会えると信じて退館しました。レースをあんなに繊細にかける人がこの世にいたことが幸せです。何時間でも見ていられる。あー、本当に彼が好きすぎるのでしばらくは鉛筆で書きまくった藤田メモを眺めて過ごそうと思います。

ではまた来週!お読みいただきありがとうございました。


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