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19歳で会社を作った話

2020年1月、19歳の僕はPibok Japan合同会社という会社を設立しました。

感謝とこれから。

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Pibok Japanは何故、ピボックジャパンなのか

「永遠に」→「π」→「Pi」

「バドミントン」→「badminton」

と、

『一生涯のスポーツ』として、バドミントンを日本に定着させる

という想いから、

「Pibok Japan(ピボックジャパン)」

という社名にしました。

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なにをしたいのか

標高3000Mからseason2~Vol.6【僕のこと、知ってる?①】

標高3000Mからseason2~Vol.7【僕のこと、知ってる?②】

会社を設立するまでの流れは、上記の二つの記事を読んでいただきたいと思います。

そして会社を起こしてなにをするのか。

Pibok Japan合同会社のミッションステートメントを一言で要約するとならば、


『一生涯のスポーツ』として、バドミントンを日本に定着させる


です。

当社公式ウェブサイトが、先日よりオープンしておりますので是非ご覧下さい。

また、このミッションステートメントを達成すべく、様々なことを進めております。

そちらに関しましては、皆様に告知できる段階になってから「【僕のこと、知ってる?③】」というタイトルで記事にして更新させていただきたいと思っておりますのでどうかよろしくお願い致します。

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会社設立/起業

「起業」

ここは決してゴールではありません。

しかしながら、中学生の時に漠然と「会社を作りたい」と思ってから、今まで。

形にできた自分を素直に褒めたいと思っています。

数多くの同年代よりも考え、行動して生きて来ました。

年上の人と関わる機会が多くなり、可愛がっていただき今日に至ります。

三宅島で働く機会がなければ、設立ももっと遅くなっていたことでしょう。

そもそも、18歳で日本第二の高峰に登っていなければ八ヶ岳に行くこともなかったですし、Twitterで凄いなと思っていた人に直接お会いできなかったでしょうし、御蔵島に行くこともなかったですし、三宅島にも行くことはなかったのです。会社とする建物をお借りすることも、元日本代表の方と打ったり会社の話をしたりすることもできなかったのです。

人に恵まれ、しつこいほど夢を発信し、口に出した事がどんどん繋がって今に至っています。

本当に設立まで多くの時間を費やしはしましたが、決して遠回りしたつもりはありません。


人生は「わたあめ」でもあると思います。

時間をかけて、いろいろな人に出会って、どんどん繋がって、輪が広がってゆく。

みなさん、クルクルと「わたあめ」作ったことありますよね??


時を戻そう。


高校卒業してから出会った方々。

同窓会で気にかけてくれたり、応援してるよと声をかけてくれた中学の同級生。

本当に出会えてよかったと思っています。


また、両親には未成年での起業であったがために、様々な書類の用意を協力いただく形となりました。

ありがとうございました。


皆様には感謝しきれませんが、そんなこんなで進み続けますので「糸尾 直記(いとお なおき)」と「Pibok Japan合同会社(ピボックジャパン合同会社)」をどうぞ宜しくお願い申し上げます。


また、毎回ブログの最後に「サポート」という形で自由に投資(投げ銭)ができる仕組みのあるものを設置していますが今回からは、そちらの寄付も全て会社の活動資金にさせて頂こうと考えています。

より、バドミントンへの貢献度を高めていくためです。

どうぞ宜しくお願い致します。

カンボジアに学校を建てたり、愛で地球を救ったりはしませんが、貴方を見たことのない世界にちょっとだけ連れていけます。