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1年の継続を経て


Twitterで発信している「2分スピーチ」が
5月5日をもって1周年を迎えました。



1年間、なにかを続けることって人生で初めてかもしれない…


いや、初めては言い過ぎだけれど、
自分の意思で初めて自分の意思で続けることって
人生においてそもそもあまりない。

学生の時はテストがあるから勉強していたし
部活動も時間が来るからやっていて、
習い事も同じような感じだ。



先日、こんなツイートを見つけた。(ニュアンスだけ引用)

楽しいこと、すきなことじゃないと努力が続かない。
無理にやらされていることはつらいよね。

言いたいことも考えていることもわかる。

わたしも以前はそう思っていた。
継続できるのは「すきなこと」「たのしいこと」だから。


でもいざ1年継続してみて思うことは、
すきなこと、たのしいことでも
苦しくなることもあるけれど
それでも続けるからこそ力になる、ということ。



例えば、映画鑑賞が趣味だとする。

毎日、何本でも映画を見れる。
たのしい気分の時も、かなしい時も映画が救い。

その継続には苦痛はないかもしれない。

その時に得た知見やすきを活かした仕事に就いたとする。
趣味から仕事に変わった時に
たのしいだけではなくなる瞬間が絶対訪れるはず。

たのしいこと、すきなこと、
そこだけから少し抜け出すときには
新しい感覚が芽生える。
それが苦しさや、違和感の場合もある。

それでも、そこと向き合うからこそ
それでも、続けていくからこそ
またたのしさや好きな気持ちが芽生えていく。



状況によってはたのしいこと好きなこと以外で
継続しないといけない場合もあると思う。

すきなことを継続できる環境にいるのはしあわせなこと。


それでもこの1年間、たのしいだけじゃなかった。



なんのためにやっているんだろう?と何度も思って

やめてしまっても誰にも影響を与えないと思って

SNSに時々ものすごく疲れて、何度か離れて

それでもまた始めよう、ということを繰り返す1年間。


そして気付いたこと。

たのしいこと、好きなことだとしても
「継続すること」自体がたのしいと感じていないのならば、
継続することが苦しいことなんだよね、ということ。

でも苦しいことって「慣れていないだけ」の場合もある。

苦しいこと=成長のチャンスではないけれど、
成長のチャンスは苦しいことの中にもちゃんとある。

たのしいことの中にもあるけれど、
たのしいだけでは気付けないことがあるはず。


どんなことを頑張るのか、
どんなことへの苦しみに向き合うのか、

そこの判断は大切だと思っていて、
苦しいことを何でも耐えればいいとは思っていない。

苦しいことをどうやってたのしむか、
それが大切なことをのひとつだと思う。




2年目に突入して
きっとまた新しいことが見えてくる。

目の前のことと向き合って
日々を楽しんでいきたい。



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