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ちゃんとあなたに「好き」を伝えるためにも


褒めることって、もちろんすてきなことだけれど言い方に気を付けないと、本当に伝えたい『褒める気持ち』が薄れてしまう可能性がある。

悪口や非難の言葉は、すごくわかりやすい。
だけれど、誰かを褒めている言葉は発している本人さえも気づかない状態で、誰かに対しての悪口や非難へとすり替わっていることがある。

良いことを「良い」と言うこと、悪いことを「悪い」と言うことは、一見正しいように見えるけれど、意図しない見え隠れするような伝え方では、本来伝えたいことが伝わらなくなる。
そして、誰かを攻撃する言葉や思想は正しさも抱き合わせていることも相まって、仲間をつくりやすい。攻撃しているように思えても、「言っていることは正しいから、この行為は間違っていない」と思えてしまう。

また、明らかに攻撃する言葉や行動だとしても、己の正義に背いていない限りその行動さえも「正」になることもある。
明らかな被害者と加害者が存在する場合、加害者は「悪」となるのでここぞとばかりに吊し上げて叩きまくる。被害者を出した加害者は、同様に被害者になっても問題ないというように。だけれど、そうすることで新たに加害者が生まれていることは黙認されてしまうのだ。


ニュースに流れるいろんな情報に対して、身近な出来事に対して、いろんあなことに対して、改めて自分自身の言葉や身の振る舞い方を見直したいという思いもあって書いてみた。

近年はSNSの発足が著しいため、発信することの大切さをよく耳にする。
発信しないことがいちばん良くない、というような言葉も聞いたことがある。

だけれど、発信する上で悪循環をまわしてしまうことだって可能性としては否めない。
「トイレットペーパーの買い占め」のような、なんとなく発言したことが社会現象にもなり得る時代なんだなぁということは心に留めておく必要がある。どんな発言や発信をしようとも、その言葉の本意が伝わらないとちゃんと伝えたいことが伝わりきらない。


「すき」とか「すてき」を伝えるのにも、誰かと比較して伝えたら伝わりやすいのかもしれないけれど、言われた人にとっては喜んでいいのか分からなくなることだってある。

ちゃんと本心を、本音を伝えるためにも、誤解なく誰かを傷つけずに気持ちを伝えることって大切だ。



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