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とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ。-太宰治『斜陽』

どうも、倫理。です

初めての投稿は、太宰治『斜陽』の読書感想文にでもしようと思います。
読書感想文といっても、評論や批評のような大層なものではないのです。初めて読んだ作品において感じたことを書き連ねるだけですのでどうかご容赦を。





読んでいてなんだか怖く感じ続けていました。主人公・かず子に幸せが訪れるのだろうかと。太宰治の作品を読んでいるときの心が好きです。普段よりも一段と深く潜った、凪のような心になるのです。
『斜陽』は常にその心にでありました。あの心を心地よく感じます。

母のことを「かわいい」と表現する娘って愛らしくないですか。きっとこれは親への依存でしょうか。母を母と見ていないように思えました。かず子の目には、自分を産んだ母親ではなくいつまでも美しく愛らしい上品な特別な女性として写っていたのでしょうか。
それでも衰え病により衰弱し、どんどん変わっていく母は、やはりいつまでもかず子の特別な女性だったのでしょう。
母とかず子を見ていてふと思ったのは、執着と愛の違いでした。なにがなにでしたっけ。
でもそんな感じのやつです。適当でごめんなさい。

東京から山荘に移り住み、田舎暮らしを始める親子。どんな屈辱や悲しみがあったのでしょうか。貴族の親子にとったらなれない生活の中、生き抜くために適応していくかず子に間違いはありません。ですが母親はなんだか適応しきれない幼子のように思えました。

最後の最後で恋を綱頼みにするかず子もやはり乙女でしょう。恋に焦がれて生きる理由を見出す感覚はまだ私が味わったことのないものではありますが、自分以外の誰かに固執して意味を見出すことならわかります。かず子はそれを行っただけなのかもしれません。ですが、「ああ、ここに来てまで」と思ってしまったのは冷たいでしょうか。


直治の遺書には共感を覚えました。彼はどこまでも人間らしく思いました。
自分とは違う階級の人間と付き合うために、貴族を捨て、下品になろうとした彼。それでもなお、キザったらしいと言われる始末。

自己投影するのに十分でした。意外ときちんとした環境で生きてきましたから。他の庶民よりも整った環境だったと思います。
その中で大人しさを隠すためにわざと使った汚い言葉。真面目さを見せないために崩した脚。上品なお嬢さんだったはずの私ですが、自らそれを穢していきました。

 『僕は、もっと早く死ぬべきだった。しかし、たった一つ、ママの愛情。それを思うと、死ねなかった。人間は、自由に生きる権利を持っていると同時に、いつでも勝手に死ねる権利も持っているのだけれども、しかし、「母」の生きているあいだは、その死の権利は留保されなければならないと僕は考えているんです。それは同時に、「母」をも殺してしまう事になるのですから。』
この文になんだかどうしょうもない気持ちになりました。
私は死にたがりです。希死念慮に飼い殺されています。ですが、母は稀に「死ぬことだけはするな」とおっしゃります。私は早く早く死にたいのに、母は私が先に死ぬと悲しむのでしょう。それに反故して死にたいのです。ですがやはり母の愛情を考えれば、悩ましく思えます。

生きることを選ぶ自由も、死ぬことを選ぶ自由も人間は持ち合わせています。
死後もなお、他人に死体をいじくり回されてはたまったもんではありませんし、誰かにせびってその日のおまんまをご馳走していただくほどプライドは捨ててないし、完璧な不良になる覚悟もないし、人妻に手を出し自分の恋を遂行する勇気もない。それこそ彼の語った「貴族」なのかもしれません。
  僕は、貴族です。


そういえば、私は最近になって俗に言う文豪の作品を読み始めたのです。
もっと子供の頃に読んでおけばよかったと口酸っぱく言っているのですが、この作品においては「今読んでよかった」と思いました。
多分、当時読んだとしてストーリーは理解できました。文学少女でしたから。ですが、きっと直治の語る生き方や死生観、かず子の恋心、貴族としての生き様、それらが理解できないでしょうから。今でさえ完璧に理解できてない自覚があって、きっとあと3回は読みたいのです。幼い自分でしたら「自分は読んだのだ」という満足感でいっぱいで二度とページを開くことがなかったかもしれません。
無知であることを自覚すること。これって大人への一歩だと思いませんか。
私は馬鹿ですが聡くもなりました。

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