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私を仕事のプレッシャーから救ってくれた愛しいお菓子【#私とヨックモック 朱野帰子さん】

ヨックモック公式noteでは、お菓子を愛する方々によるエッセイ企画「#私とヨックモック」もお届けします。
今回のゲストは、「シガールが大好き」という小説家の朱野帰子さん。会社勤めを経て小説デビューし、「わたし、定時で帰ります。」など、労働をテーマにした作品を多数執筆されています。会社員時代から、仕事中のおやつの定番はシガールだったという朱野さんのエッセイを、ぜひお楽しみください。

気がつけば、シガールはいつも私のそばに

洋菓子ブランド「ヨックモック」のロングセラー商品といえばシガールだ。薄いクッキー生地をくるくると巻いて焼き上げられている。

昭和末期生まれの私にとって、洋菓子はいつでも食べられるものではなかった。だから、食べたときの記憶ははっきり残っている。だがシガールとの出会いは覚えていない。シンプルで洗練された形をしているせいかもしれない。気づいたときには、私のそばにいて、よく知っているお菓子で、お気に入りになっていた。
 
シガールをもらう頻度が最も高かったのは、会社員時代だ。
 
大学を卒業した私が入社したのは、社員が十名もいないマーケティングファームだった。広告代理店出身者が起業した会社で、企業や広告代理店から仕事をもらっていた。私はそこで、商品開発にマーケターの立場で関わったり、商品評価をリサーチしたり、アイディア創出のためのフレームワークを作ったりしていた。
 
今から思えば、就職難に見舞われて大企業に入れなかったのは、私にとって幸運だったかもしれない。まだ新卒入社した企業に長年勤めあげる人が多かった時代だが、先輩社員たちはみな二社以上を経験していた。転職を重ねながらスキルを育て、キャリアを形成する。新しい時代の会社員の生き方を、私は彼らから学んだ。
 
大学では文学の講義や、小説を執筆する演習を受けていた。本当は本に関わる仕事がしたかった。でも当時は銀行がいくつも倒産し、失業率は過去最高に達していた。出版社の採用にもすべて落ちた。「小説家になってもベストセラーを出さなければ食べていけない」と言われ、会社員になる以外に、私が生きていく道はなかった。
 
そうして飛びこんだビジネスの世界は意外と楽しかった。社長は「仕事に役立つなら、いくらでも本を買っていい」と言ってくれた。マーケティング理論、競争戦略、リサーチ手法についての翻訳書を夢中になって読んだ。
 
マーケティングとは消費者の心を知り、彼らに商品を売るためのスキルだ。どんな社会に生きて、毎日何を思っているのかを、たくさんの消費者から聞いて、彼らの望みは何かを考えることは、私にとって小説を読むことや書くことと同じくらい面白かった。
 
ビジネスの世界で働いているのは、さまざまな顔を持つ人たちだった。小説によく出てくるくたびれたサラリーマンのようなステレオタイプなんて一人もいなかった。彼らが吐き出す感情を聞きながら働くのも刺激的だった。
 
新卒から七年の歳月を夢中に働いて過ごした。でも、疲れてしまうこともある。もう頑張れないと思うこともある。そんなときはL字型のデスクの中から手を伸ばす。私のデスクのすぐ横には、社員たちの共有デスクがあり、会社を訪れた人たちがくれたお菓子が置かれていた。シガールの青い缶がそこにあることもあった。
 
蓋を開け、透明なフィルムを縦に破り、椅子にしずみこむ。白い生地の端っこがこんがりと茶色に焼きあがっているシガールを口にくわえて、息を吸うとバターの香りがした。
 
あの頃、新入社員たちは即戦力になれと言われていた。私もそのプレッシャーを一身に背負っていた。
 
けれど、シガールをくわえてバターの香りを吸っている時間は甘やかな時間だった。後で聞いたところによれば、シガールにはバターがたっぷりと使われているらしい。小麦粉より多いのだそうだ。「これ以上入れると、クッキーにはならない」という分量が入っているそうだ。そんなに!
 
シガールの青い缶を「みなさんでどうぞ」と置いていってくれた人たちは、みな会社員だった。二十本入りだからみんなにいきわたるだろう。仕事をしながら食べられるだろう。そんなことを考えてヨックモックに立ち寄り、シガールを手土産に選んでくれたのかもしれない。
 
シガールを一本食べ終わるまでの間、先輩や後輩と雑談して、また仕事に戻る。空っぽになった青い缶は共有デスクの引き出しにとっておかれて、書類整理のときに大量に発見されるクリップ入れになる。それが私と、ヨックモックのシガールとの記憶だ。

「特別な存在にならなければ」のプレッシャーと戦っていた新人作家時代

会社勤めを二社経験した後、私は専業小説家になった。
 
出版社の編集者さんは手土産上手だ。打ち合わせの場で、ドラマ撮影の現場で、サイン本を作りに行った書店さんで、「これどうぞ」と差し出される紙袋には、新ブランドのチョコレート、地元で話題のパティスリー、雑誌で紹介された和菓子が入っている。
 
「さすが小説家!」と言われるような手土産を私も持っていきたいと思った。小説家になる前に思い描いていた小説家たちは、読者が知らない特別なお菓子を紹介してくれる人たちだった。でも、そんなお菓子たちは自分には似合わない気もしていた。
 
かといってシガールにも戻れない。ヨックモックの店はどこにでもある。空港や、ターミナル駅や、百貨店や、あらゆるところで青い缶を目にする。ロングセラーだからこそ、定番ギフトだからこそ、特別な感じがしないような気がしていたのだ。
 
特別な存在になりたかった。小説家になれたことで、私はまたプレッシャーを負っていた。

みんなが知っている定番の良さを改めて実感し、自分も肯定できた

しかし皮肉なことに、そんな私の代表作は「わたし、定時で帰ります。」だ。特別ではない、平凡な会社員が主人公で、自分の経験をもとにして書いた小説はドラマ化もされた。その続編を書いていた時のことだ。作中で登場人物にお菓子を食べさせる必要に迫られた。その場にいる会社員のキャラクター、そして読者がすぐに「あれね」と気づくとしたらどのお菓子がいいだろうと考えて、すぐ思い当たった。
 
ヨックモックのシガールだ。

会社でよく食べたあの洋菓子のことを、私はごく自然に書いていた。小説家になっても、私は会社員だったときと変わっていない。このままでいいのだということに、デビューして十年以上たって気づいた。
 
手土産だってそうだ。定番ギフトだからいいのだ。会社を訪れた誰かが置いていってくれた青い缶を、私も誰かに手渡せばいい。「仕事の合間に食べてね」と。
 
ヨックモックのお店は、今も変わらずあらゆるところにある。急いでいる時でも立ち寄りやすいのだ。そのうちの一軒を選んで、シガールの青い缶を、まずは自分のために買ってみた。

価格以上の高級感がある。紙袋に入れても軽いから、ビジネスバッグと一緒に持って歩き回れる。青い缶のなかに行儀よく並んだシガールたちが美味しいってことを知らない人はいない。だから会社によく届けられたのだろう。なるほどな!
 
ヨックモックといえばシガールとばかり思ってきたけれど、店頭に行くと他にもいろいろある。また、シガールにもさまざまな種類がある。
 
お土産にするならやはり定番のシガールだけれど、私が私のために買ったのはシガール オゥ ショコラだ。くるくるっと巻かれたクッキー生地のなかにしっとりしたチョコレートが入っていて、ずしっと重いのが嬉しい。

このエッセイもシガール オゥ ショコラをくわえながら書いている。出版業界はいまだ不況で、プレッシャーは今も大きい。けれど、シガールのバターの香りを吸っている間だけは甘やかな時間だ。
 
会社員時代も小説家になってからも、私はシガールとともにいる。

<書いた人:朱野帰子(あけのかえるこ)>
労働小説家。「マタタビ潔子の猫魂」で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞してデビュー。代表作に「駅物語」「わたし、定時で帰ります。」「対岸の家事」などがある。

 <編集:小沢あや(ピース株式会社)

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(おわり)


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