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人皆知有用之用而莫知無用之用也

人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり(荘子)

「無用の用」とは、無用だと思われているものこそ有用という考え方。

 前にどこかで書きましたが、最近出て来た「タイパ=タイムパフォーマンス」という言葉が大嫌いです。何の余裕もないガチガチに無駄を排して得られる効率こそが良いという考え方は、愚か者の思考としか思えない。無駄な時間という言い方もできますが、余裕・猶予という言い方もできます。全く❝遊び❞のない計画は、突然起きる不測の事態に対応できなくなります。

「タイパ=タイムパフォーマンス」は、かけた時間に対する効果、すなわち「時間対効果」のことである。かけた費用に対する効果(費用対効果)を意味する「コストパフォーマンス」の「コスト」を「タイム」(時間)に置き換えた造語で、和製英語。

Wikipediaより

 考え方が目指しているのは「不測の事態に対応できない」ことではありませんが「タイパ」を徹底的に追及すると恐らく結果的にそうなります。つまり臨機応変に計画を変化させることが不可能になる。机上の空論ではなく、実際に仕事でそれをやると、何らかの想定外の事態で身動きが取れなくなるリスクが高まります。臨機応変に対応できなくなる。だから私は「タイパ」という考え方が嫌い。これまで生きて来た経験上、計画は必ず余裕を持って立てるのが理想だと思います。
 関係ないですけど「コスパ」は好きです。でも意味合いは「タイパ」と全く異なっていると思います。

 そこで、今日読んだ「人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり(荘子)」のことを考えてみましょう。

 たとえば、ふだん何気なく交わす挨拶。そんなものはなくても、一向に差し支えないと思えるが、それだけのことが人間関係を円滑にするのに、ずい分役立っていることに気づかされる。
 有用性だけをガツガツ追及している人間は、どこかゆとりに欠けている。人間としてのスケールも小さく、将来の大成も望めないように思う。

守屋洋『中国古典 一日一言』より

 恐らく「タイパ」を有効だと考えている人たちは、逆に❝余裕❞や❝遊び❞の多い時間の使い方をバカにすると思います。ようするに時給的な捉え方。1時間いくら払っているから、こんだけ無駄なく働けるやつが一番偉い。仕事ができる人はそういう物の見方をする。でもそういう考え方は、全部何の問題もなくスムーズに事が進んだ場合だけに通用する。また、人の個性や独自性の否定になります。
 一番上に立つ人がそういう考え方だと、末端で働く1人のドジなオッサンがほんのちょっとした手違いで命を落とすことにも繋がる。人間は機械じゃない。ギリギリの計算で全てが完璧に流れることを基準に据えるべきではないと思うけどなあ。思い違いかもしれませんが、機械にも❝遊び❞は必要だった気がする…

 ちなみに『老子』では何事にも千変万化して対応できる【水】こそが一番強いものと例えられています。それに対して「タイパ」を妄信することは【石】のようになることだと私は思います。【水】は【石】に穴を空けて勝つのです。
 兵法的にもガチガチな計画はダメなはず。知らんけど。

画像はamazonの商品ページにリンクしていますが、これは廃刊の古本。Kindle版があります。

<(ↀωↀ)> May the Force be with you.