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ヨコからヨコにつながるヨコヨコインターン、はじまります。

ヨコヨコインターンとは?

運営法人の垣根を越え、ちょっとずつノゾキ見して体験できるスペシャルなプログラム。

ヨコヨコ Lab.が主催・企画を担当を行う、法人の垣根を越えて大津市内の障害福祉事業所を覗き見できる5日間のスペシャルなインターンです。
今回、6人の学生さん達に参加して頂きました。

インターン初日のテーマは「いろいろなソーシャルワーカーに会おう!」
障害者の就労、児童の療育、障害者施設の事務…など様々な現場で働くワーカーの方々と出会い、言葉を話を聞く機会を設けました。

まずは参加者全員で自己紹介
ドキドキの面持ちで参加してくれた学生の皆さん
お互いを知り合って、場が和んだところでいよいよ本日のテーマへ!

ソーシャルワーカーと出会い、人を知る。

➀花染孝典さん

障害のある方の就労継続支援B型施設で支援員として働く花染さんは、大学で経営学部を学んだ後に建設業界の営業の仕事に従事、しかしある日「人に関わる仕事がしたい」と思い、未経験で児童養護施設の仕事に転職。知識も学びを持たずに現場で子どもたちと出会う。その時すぐに「ちゃんと勉強しないと続けられない仕事だな」と思った。私生活の変化に伴い法人内で勤務地の異動を希望、それが障害者の就労施設だった。

「いろんな価値観や生き方を知り、自分の中の普通がどんどん崩されていく。
しかし同時に自分自身が楽になっていくように思う。

自分以外の様々ないくつもの人生を味わえるのが、この仕事の魅力。
行けなかったであろう所に行ける。会えなかったであろうと人と会うことができる。話すことができなかったであろう人と話すことができる。
人の人生を変えられるなんて思っていないが、キッカケくらいは、なんとか作れるんじゃないかと思ってやっている。」

はじめて児童養護施設で勤務した時に、出会った少年とは今も交流がある。
「どうせすぐ辞めるんやろ?」人の心を見透かすような目が印象的だった。
関係を築いていくうちに「俺をちゃんと送り出してや」と言われた。
人と向き合う仕事は自分と向き合う仕事だと思う。

②山﨑克也さん

障害のある子どもたちが利用する放課後等デイサービスで児童指導員として働く山崎さん、高校の時職場体験で保育園に行ってみて(当時の彼女が保育園に行くからという理由で)楽しかったことから、保育士を目指し短大へ。卒業後、児童養護施設で3年間働き、その後、放課後等デイサービスへ。

学生の頃は勉強があまり好きではなかった。しかし、働くうちに「もっと学びたい気持ち」が出てきた。
人間、いつ学びたいという気持ちが湧いてくるかわからない。学生の時に「学びたい気持ち」が湧いてこない人もたくさんいるが、実践現場で子どもたちを前にしたときに、気持ちが動き始めた。その意味では、子どもたちが自分の能動性を引き出し、動かしてくれたとも言える。

この仕事をしている人たちが口をそろえて言う「私たちのほうが子供たちに育ててもらっている」という言葉の意味は、そういうことかもしれない。

休日の楽しみはサウナ、小一時間程楽しむ。

③河合桃子さん

障害児の分野で働きたい!思い、現在放課後等デイサービスで児童指導員として働く河合さんの道のりは、思いもよらない出来事の連続だった。
スポーツ観戦が趣味だったのでスポーツマネージメントの仕事に興味を持っていたが、母親に「夢は変わることもある、資格を取得してはどうか?」と助言され保育科のある学校に入学。

授業に面白さを感じられなかったが、海外の保育に興味を持ち卒業後はカナダへ。ボランティアで保育園にかかわりながら、スポーツ店に就職。このまま海外で就職するぞ!と意気込んでいた矢先に、9・11(アメリカ同時多発テロ事件)があり、就労ビザがとりにくくなり、泣く泣く日本に帰国した。
いつかまた海外に行きたいという思いで知人の紹介で旅館やホテルで働いていたが、その間にカナダの会社が倒産し、滋賀に戻った。
出産後、障害児保育の最先端と言われた保育園で勤務。母親から「あんたに保育士は向いてない」と言われていた保育士の仕事だったが、障害児との関りは毎日楽しく、大好きな職場だった。家庭の事情で退職し、次の仕事のこと考えた時に、大津で働きたいと思える保育園は退職した園以外になかったので、保育園でちょっと知った障害分野を覗いてみようかな、と思って話を聞きに行った時に今の職場(放課後等デイサービス)と出会う。

「いろんな人と出会ってきた人生だった、
自分の人生と人が点でつながっていくように思う。」

今でもスポーツ観戦が趣味、学生時代はサッカー部のマネージャーを担当
あだ名は「第二のおかん」

④潮崎識衣さん

家族に障害がある人がいたり、祖父が寝たきりだったり、両親の教えもあり、昔から福祉の分野で働きたいという気持ちがあった。しかし学生時代に他の分野のバイトを経験、そこで福祉外の事に興味を抱くようになった。
卒業後はニュージーランドで一年間ワーキングホリデーを経験、帰国後は外資系のアパレル会社で販売の仕事に従事。今では当たり前のことのように思うが、その職場では上司がコーチングの手法を用いていた。

「~しなさい」と一方的に指示されるのではなく、「あなたはどう思うか?、目的を達成するためにはどうしたらいいか?」という自分自身への問いかけを受け、自分で考えて行動する。そのやりとりの中でコミュニケーション能力が向上したように思う。仕事のやりがいはあったが激務なこともあり、結婚を機に退職。夫の転勤先の韓国に住まいを移し主婦生活、その時に取り残されたような気持ちになり、働きたいと思った。

学生の就職支援の仕事を経て、現在は障害者の生活や就労の支援を行う法人本部事務局の採用を担当している。求人の募集要項は会計と経理、自分はその分野では未経験だった。しかし面接の時にこれまでの経緯から「私はこんなことをしてきた」と話をしたら、自分の経験を活かせる業務を担当させてもらえることになった。「自分の仕事を説明するとなんでも屋。自分の仕事は自分で作る、という気持ちで今は働いている。」

学生の方には様々な事を経験して、いろいろ吸収してほしいと思う。

⑤三輪洋介さん

日中は障害のある人の就労継続支援B型施設で指導員として働く傍ら、夕方から塾で学習指導を行っている三輪さん。福祉の仕事の魅力について「対人の仕事は飽きない、そして仕事がなくなることがない。」と話す。

大学卒業後は建築関係の仕事を選んだが半年で退職。「俺は何がしたいんだろう」と思いながらフラフラしていた。その後、塾の先生の仕事をするようになり、仕事に面白さを感じていたが、家族が倒れ「後悔したくないな」と思って仕事を辞めて、地元の岐阜へ帰った。幸い、家族は元気になったが、「さあ、仕事を探そう!」と思ったけれど、なかなか仕事が見つからない。その時、家族から、何気なく言われた「介護の仕事なんかはどう?」の言葉で、高齢者介護の施設で働くことになる。好きな塾の仕事も続けていた。

学習塾では、発達障害の人と出会った。才能に溢れる人ばかりで、とてもおもしろい。でも、学校には通えていない子どももいた。この子どもたちの力が発揮できるような社会になっていないことに、もやもやする気持ちも抱えた。しばらくして、また滋賀に戻ることになった。その時、知り合いに紹介してもらったのが今の職場。期せずして、障害のある人の支援をする仕事になった。

今の職場では、上司が「定時で帰ろう!」というタイプの人。なので、定時で仕事が終わった後、場所を借りて塾もすることができている。

「この仕事はなくなることがないですよ!」という三輪さん。
いろんな仕事を経験し、仕事が見つからない時期を過ごしたからこその重みのある言葉だった。

多種多様なソーシャルワーカーの話を聞いた後は、学生とソーシャルワーカーのグループセッション。実際の現場で大変なことは?児童と向き合う時に配慮することは?支援の理想はあってもうまくいかないことも、どう折り合いをつけているの?福祉の仕事のやりがいはどんなところ?

対話を通して興味や関心、普段感じている疑問への問いかけが広がっていく。

まずは現場で働く人たちのヒストリーを知る。福祉の仕事に辿り着くまでにどういった道のりを歩んできたのか、今どうして福祉に関わる仕事をしているのか、多種多様な価値観を持つ人たちと繋がり、対話を通して理解を深めていく。一日目のオリエンテーションはそういった出会いの場となりました。

ヨコからヨコにつながるヨコヨコインターン、次回の記事もお楽しみに!

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