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廃名 『菱蕩』 (1)

 陶家村とうかそん菱蕩圩りょうとうう[圩は堤に囲まれた低地]の土手の上にあり、まち[市街地]から半里もなく、土手をくだって橋を渡り、砂州さすを歩けば、まちの西門につく。

 一列にならぶ、十ばかりの瓦屋根、土壁、石灰にふちどられたレンガはくっきりとして、太陽の下でいっそう輝き、陶家村とうかそんがいつも景気のよいことを示している。奥の竹やぶでは、緑の葉っぱが階段のように積みかさなり、その傾斜は河岸までつづき、川は竹にそって曲がりくねり、さらさらと流れる。ここはまちにほど近く、あいだに川しかなく、城壁の一部は川にのぞんで生える竹に面している。竹やぶの中には小道があり、城壁の上からもうかがえた。ふと、ある者がその川のほとりで急に立ちあがった——陶家村から水を運びにやって来たのだ。山にしずむ日の光が陶家村に届かなくなるころ(この時間帯は城をぶらつく者が多い)、城堞ひめがきにのぼって首を伸ばし、川を眺めようとする者が少なからずいるが、結局のところ城壁の上にいる人間は下にいる人間を眺めるのであり、どうも川の清らかさや竹の青さについては口にせぬらしい——そしてまた、下にいる人間も上にいる人間を眺めるのだ。

 陶家村には橋を渡ったところに石塔があり、その名は手洗い塔という。昔は橋が架かっておらず、往来には「渡し舟」が必要だったという。渡し手とは、大きな烏竹くろちくでつくったいかだに通行人を乗せて川を渡る者のこと。ちょうという老人が、ここで渡し手をやりながら一日を過ごしていた。髪は銀糸ぎんしのように白かった。ある日、何仙姑かせんこ[八仙の一人で唯一の女仙]が下界に降りてきて、この老人を天に昇らせようとしたところ、老人はこういった。「わしは行かぬ。わしがいなければ、まちの者はどうやって田舎へ向かうというのだ? 田舎の者はどうやってまちへ行くというのだ?」しかし、老人はその夜に死んでしまった。朝めざめると、川には橋が架かっており、橋のたもとには塔があった。何仙姑かせんこはひと晩で橋を築いたのだ。橋を築くのに手洗い場が必要なため、そこに手洗い塔ができたという。このはなしを陶家村とうかそんろうちんさんだけは信じておらず、彼はこういうのだった。「ちょうじいさんの渡し舟には、渡し賃がいるでしょう?」渡し舟にはやはり彼に銭を払う必要があり、聾の彼と同じ「小作人」なのだから、決して昇天させてはならぬというのだ。


〈原文〉

  陶家村在菱荡圩的坝上,离城不过半里,下坝过桥,走一个沙洲,到城西门。

  一条线排着,十来重瓦屋,泥墙,石灰画得砖块分明,太阳底下更有一种光泽,表示陶家村总是兴旺的。屋后竹林,绿叶堆成了台阶的样子,倾斜至河岸,河水沿竹子打一个湾,潺潺流过。这里离城才是真近,中间就只有河,城墙的一段正对了竹子临水而立。竹林里一条小路,城上也窥得见,不当心河边忽然站了一个人,——陶家村人出来挑水。落山的太阳射不过陶家村的时候(这时游城的很多),少不了有人攀了城垛子探首望水,但结果城上人望城下人,仿佛不会说水清竹叶绿——城下人亦望城上。

  陶家村过桥的地方有一座石塔,名叫洗手塔。人说,当初是没有桥的,往来要“摆渡”。摆渡者,是指以大乌竹做成的笺载行人过河。一位姓张的老汉,专在这里摆渡过日,头发白得像银丝。一天,何仙姑下凡来,度老汉升天,老汉道:“我不去。城里人如何下乡? 乡下人如何进城?”但老汉这天晚上死了。清早起来,河有桥,桥头有塔。何仙姑一夜修了桥。修了桥洗一洗手,成洗手塔。这个故事,陶家村的陈聋子独不相信,他说,“张老头子摆渡,不是要渡钱吗?”摆渡依然要人家给钱他,同聋子“打长工”是一样,所以决不能升天。


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