見出し画像

郁達夫 『楊梅酒』 (終)

 彼にこんなふうに言われてしまっては、寝心地さえも悪くなる。でも、この夏の盛りの楊梅やまももしゅ二杯と、半日がかりの列車旅で、疲れは限界にきていたので、すぐにでも近くの旅館を探してひと眠りしたくなった。このときちょうど彼は眼を開けて私に三杯目をいた。私もそのはずみで目醒めざめ、両眼をかっと大きくひらき、彼と張り合って一杯飲み干した。この甘そうで甘くない一杯の酒が腹に落ちてくるまで待っていたら、私もさすがに立っていられなくなるので、勘定かんじょうを済ませようと店員を呼んだ。彼は店員がやってきて、私が勘定しているのを見ると、気が狂ったように急に立ち上がり、お札を握る私の右手を片手で押さえ込み、もう片方の左手をズボンの腰のポケットの中へ無理に突っ込んできた。店員が私のお札を持っていき、お釣りの銅貨をテーブルに置いたとき、彼の顔はさっとあおざめ、れた眼は吊り上がり、その手がテーブルの銅貨をつかんだかと思うと、そのジャラジャラしたものを私の顔に投げつけた。カチンと音がして、右眼の横のこめかみにひんやりと刺激が走り、おくれて痛みがやってきた。このとき、私もアルコールが回っていたので、彼をじっと見ながら、大声を発した。

ここから先は

1,980字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?