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廃名 『菱蕩』 (2)

 塔はさほど高くなく、大きな楓の木が高だかと塔の頭上に伸び、遠路をゆく者はいつもその木蔭でひと休みする。その木の下にすわると、菱蕩圩りょうとううが一望できた──見えるのは菱蕩圩の天地だけで、土手の上に山が一つ、二つあり、近くないことは分かるが、林が山の中腹に見える。菱蕩圩りょうとううは大きいとはいえない。花かごの形をしているが、そのかごの中に花はなく、底から緑が萌えるばかり──ただし、そばや菜の花が咲くころは、その花で埋めつくされる。水田はひと目でそれとわかるけれども、林の中はたくさんのかたまりが積み重なるように見え、たとえ城内の者がときどき菱蕩圩に遊びに来ても、あれは村だ、あれは庭園だ、あるいは池の周りに植えた木だなどと言いあてることはできない。土手の上の木は菱蕩圩の空をより狭め、陶家村と陶家村の向かいの小さな寺を除いて、林の中をぐるりとひと巡りしている。ときどき斧で木を斬り落とす音が聞こえるが、その音は続いてもすぐにまた聞こえなくなるので、結局はどこだか分からない。小さな寺は、こちらから眺めると、白い壁を見せ、奥ふかくに引っ込んだあげく身動きがとれなくなったというような寺だ。暮れどき、この辺りは真っ先に日が隠れ、木の色はひときわ深まる。こう思う人もあるらしい。おそらくはこの村の鎮守の寺であろう。こんなに小さく、背後の山の中腹にたつ水竹寺と同じぐらいなのだから。しかし、水竹寺の林は遠方の山にひろがる竹やぶにすぎない。城内人はこれまで陶家村の村人にこの寺のことを一度も聞いたことがなく、彼らは今後、二度とこれほど白い壁を見ることもないのである。

 陶家村の入り口の田んぼは十年のうち九年は収穫せず、もともと穀物を植えるつもりもなかった。標高が低いため、一年じゅう水がある。何か収穫できるときは、思いがけぬ豊年とされる(陶家村の豊年があるとすれば、日照りの年である)。水草は菖蒲に連なり、菖蒲は土手のふもとまで伸び、木陰はこの草ぐさを覆い、風もないのに涼しい。陶家村の牛はこの土手のふもとに放たれ、城内の驢馬ろばもこの土手のふもとに放たれている。人はここに横たわり、目をとじたまま大の字になるのが好きだ。この水田を囲む砂路は菱蕩のほうまで伸びている。

 菱蕩圩りょうとううという名はこの菱蕩りょうとうに由来する。


〈原文〉

  塔不高,一棵大枫树高高的在塔之上,远路行人总要歇住乘一乘阴。坐在树下,菱荡圩一眼看得见,——看见的也仅仅只有菱荡圩的天地了,坝外一重山,两重山,虽知道隔得不近,但树林在山腰。菱荡圩算不得大圩,花蓝〔篮〕的形状,花蓝〔篮〕里却没有装一朵花,从底绿起,——若是荞麦或油菜花开的时候,那又尽是花了。稻田自然一望而知,另外树林子堆的许多球,哪怕城里人时常跑到菱荡圩来玩,也不能一一说出,那是村,那是园,或者水塘四围栽了树。坝上的树叫菱荡圩的天比地更来得小,除了陶家村以及陶家村对面的一个小庙,走路是在树林里走了一圈。有时听得斧头斫树响,一直听到不再响了还是一无所见。那个小庙,从这边望去,露出一幅白墙,虽是深藏也逃不了是一个小庙。到了晚半天,这一块儿首先没有太阳,树色格外深。有人想,这庙大概是村庙,因为那么小,实在同它背后山腰里的水竹寺差不多大小,不过水竹寺的林子是远山上的竹林罢了。城里人有终其身没有向陶家村人问过这庙者,终其身也没有再见过这么白的墙。

  陶家村门口的田十年九不收谷的,本来也就不打算种谷,太低,四季有水,收谷是意外的丰年(按,陶家村的丰年是岁旱。)水草连着菖蒲,菖蒲长到坝脚,树阴遮得这一片草叫人无风自凉。陶家村的牛在这坝脚下放,城里的驴子也在这坝脚下放。人又喜欢伸开他的手脚躺在这里闭眼向天。环着这水田的一条沙路环过菱荡。

  菱荡圩是以这个菱荡得名。

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