郁達夫 『楊梅酒』 (翻訳後記)
「旧友訪問系」の短篇は、日本の明治、大正、昭和初期によくみられた話ではないかと思う。
郁達夫のこの作品は(これに限らないのかもしれないが)、それらの作品によく似ており、そのせいか、これまで訳してきた短篇のなかでもっとも訳しやすかった。
彼は日本へ留学した経験もあり、田山花袋などの小説も読んでいたというから、きっとその影響かと思われる。
(元をたどれば、中国の古代詩にこそ、この「旧友訪問系」の系譜の祖があるのかもしれないのだけれど)
クライマックスで旧友が酔って悪態を吐くあたりは、太宰治の作品でこんなのを読んだことがあったなあ、と思ったが、タイトルがわからず、青空文庫で探してみたところ、『親友交歓』という作品がそれだった。
しかし、私がこの作品でもっとも面白く読んだのは、前半における旧友の頰髯の克明な描写だ。
彼の風貌は七、八年前と少しも変わっていないばかりか、東京の大学予科に入学した当時と比べても、寸分違わぬようだった。口の下まで生やした頬髯もやはり十数年前と同じで、三日前に剃ったばかりのように、ちょうど一、二分の長さにそろい、遠くから見ると、彼のあごは逆さに掛かった黒漆の木魚に似ていた。不思議なことに、私と彼とは四、五年の間ともに学び、帰国してから七、八年会っていないというのに、彼のこの頬髯は、いつ見てもそれ以上に短いことも長いこともなかった。まるで彼の母親が彼をこの地に産み落としたそのときから、この髯はあんなふうに生えており、彼が死ぬまでもずっと、変わらぬかのようであった。
黒漆の木魚? と思って、検索してみると、なるほど、確かに木魚には口のように開いたところがあって、逆さにすると髯に見えなくもないのだ。
これほどリアルに描かれていては、モデルがいたとしか思えない。この旧友は、もしかしたら西域系の人物だったのかもしれない、とも思った。
あと、気になったのは、この旧友が「捕らぬ狸の皮算用」をしているときの計算が合わないことだ。作者の計算ミスなのか、この人物が酔っているから間違ってしまったのか、よくわからない。
楊梅酒は飲んだことがない。
ググってみたら、色も鮮やかで、いかにもうまそうだ。
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