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廃名 『菱蕩』 (3)

 菱蕩は陶家村に属し、その周りには常緑樹の矮林わいりんがあり、密に生えている。土手の上を歩くと、清らかな川の一角が見える。岸辺には、緑の草から咲いた野花が、輪をつくっている。通り口に二つ、菜園に一つ。ろうの陳さんの畑もここにあった。

 菱蕩の深さは、陶家村の二郎じいさんがよく知っている。二郎じいさんは七十八の老人で、彼がいうには、道光十九年[1835年]のとき、菱蕩は干潟にはならずとも、あと少しで底が見えるところだったという。網でとった大小の魚は少なくなく、鯉の大きいのは十キロもあった。このときは陶家村も賑やかになり、六つのまちから人が見に来て、手洗い塔もぬまの中も人であふれ、林まで混み合っていた。

 ひしの葉が水面をまばらに隠し、その半分はぬまで、あとは澄んだ水。太陽が頭上にせまると、森の茂みに鳥の声はなく、そこを通る者は水のゆくえを知らない。しょっちゅう来ている客であれば、入り口のあたりをぐるりと散策する。上に下にと目をやった先には、空と水しかない。足を止めると、ちょろちょろと水の音が聞こえる──その水音は一つひとつの空白を埋めていくようなのだ! 頭をかたむけ、釣り人を見てみたりする。釣り人はその釣り糸を見つめている。何もいわぬ君が、また出てきた。もし城内に入って街に出るようでも、君はやはり菱蕩りょうとうの旅人である。

 君のような人は、なんだか一つの深いもの、碧いもの、緑のもの、そして丸いものを感じるようだ。

 城内の人は菱蕩が陶家村のものだとは思っておらず、ろうの陳さんのものだと思っている。みんなはこの聾者をよく知っている。彼のことが好きで、彼のことをよくからかう。特にあの洗濯女たちだ──彼女らの多くは城西の外れに住んでおり、川の水が干あがると菱蕩に洗濯にくる。底の深い菱蕩は、彼女らにかき回される。日が暮れて夜が明けるころ、土手の上でも彼女らのくしゃみが聞こえる。おまけに、洗濯かごが重すぎて土手の下の芝生に「ぺたんとすわる」のまでもきぬたを打つ音と呼応していた。野花は彼女らの蒲団になり、もとは青々とした草も彼女らに踏まれて道になった。


〈原文〉

  菱荡属陶家村,周围常青树的矮林,密得很。走在坝上,望见白水的一角。荡岸,绿草散着野花,成一个圈圈。两个通口,一个连菜园。陈聋子种的几畦园也在这里。

  菱荡的深,陶家村的二老爹知道,二老爹是七十八岁的老人,说,道光十九年,剩了他们的菱荡没有成干土,但也快要见底了。网起来的大小鱼真不少,鲤鱼大的有二十斤。这回陶家村可热闹,六城的人来看,洗手塔上是人,荡当中人挤人,树都挤得稀疏了。

  菱叶差池了水面,约半荡,余则是白水。太阳当顶时,林茂无鸟声,过路人不见水的过去。如果是熟客,绕到进口的地方进去玩,一眼要上下闪,天与水。停了脚,水里唧唧响——水仿佛是这一个一个的声音填的! 偏头,或者看见一人钓鱼,钓鱼的只看他的一根线。一声不响的你又走出来了。好比是进城去,到了街上你还是菱荡的过客。

  这样的人,总觉得有一个东西是深的,碧蓝的,绿的,又是那么圆。

  城里人并不以为菱荡是陶家村的,是陈聋子的。大家都熟识这个聋子,喜欢他,打趣他,尤其是那般洗衣的女人,——洗衣的多半住在西城根,河水渴了到菱荡来洗。菱荡的深,这才被他们搅动了。太阳落山以及天刚刚破晓的时候,坝上也听得见他们喉咙叫,甚至,衣篮太重了坐在坝脚下草地上“打一栈”的也与正在搥捣忤的相呼应。野花做了他们的蒲团,原来青青的草他们踏城〔成〕了路。

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