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「詩は過激でなければならない」の真意~桑原茂夫さんトークショーまとめ

 8月6日に行われた桑原茂夫さんトークショー「編集者に聞くシリーズ・幻想文学の火付け役 思潮社の青春期を語る」は、本当に楽しくて、あっという間の2時間でした。

 桑原さんが『現代詩手帖』の編集長をされた1969年~71年と、聞き手の藤井一乃さんが編集長をされた2016年~19年をリンクさせる形でさまざまなお話をお聞きしましたが、いやぁ…、その時代の文化の先頭に立っていく「編集長」という仕事の凄まじさを、ほんの一部であるとは思いますが体感できたように思います。桑原さんもすごかったけど、藤井さんもすごかった!

 私個人としては、『現代詩年鑑』に載せて批判された詩の話や、草森紳一さんの遺言のおはなしが興味深かったなぁ~。

 下記のおはなしは桑原茂夫さんの個人誌『月あかり』にも一部掲載がありますので、トークショーを振り返りたい方も、当日は参加できなかった方も、ぜひお読みになってください。 

●唐十郎が機動隊に連行された時の話
 →『月あかり』第5巻 第4号
https://yokoyamashoten.stores.jp/items/64e86d992987f6003c13fff3
 
●ルイス・キャロルと「アリス」の話
 →『月あかり』第5巻 第6号
  (瀧口修造さんの話の中で)
https://yokoyamashoten.stores.jp/items/64e873542987f60042140a01
 →『月あかり』第7巻 第2号
  (主にキャロルの写真術の話)
https://yokoyamashoten.stores.jp/items/64e87a9b835a6700434f77db

 
●田村隆一さんの話
 →『月あかり』第5巻 第7号
  (オトーサンコーナーの中で)
https://yokoyamashoten.stores.jp/items/64e875ac2987f6003c1403e9
 →『月あかり』第5巻 第8号
https://yokoyamashoten.stores.jp/items/64e877f8691ebd0032db2881


 …さて、桑原さんと偉大な詩人・作家との数々のエピソードを余すところなく披露したこのトークショーですが、中核は、単なる思い出話を振り返る会ではありませんでした。

 つまり、桑原茂夫さんも、藤井一乃さんも、「民主主義とともにあった詩や文学が、現在、終わりつつあるのでは…」との危機感をお持ちで、まだ思想と文化・文学・芸術が密接に結びついていた時代を振り返ることで、「これから先、詩人はどうする?」と問題提起をするための会だった、ということができるのです。

 会の終盤で桑原さんは、「詩は過激でなければならない」と語られました。ここでいう「過激」とは、「過激な言葉・刺激の強い言葉で詩を書け」という意味ではありません。桑原さんは「過激」を「ラジカル(radical)」と言い換えることもあります。以下の、「radical」の意味を見ますと、

radical
1(人・思想など)急進的な、過激な、革新的な
2 a(改革・治療など)抜本的な、徹底的な
 b 根本的な、基礎の

Weblio英和辞典

「抜本的な」「徹底的な」「根本的な」とあります。桑原さんは「過激」という言葉に、この意味を含ませているのです。「根源的であり根底的なもの、手抜きがないもの、それこそが過激なものであり、詩である」という意味です。

 さらに、「詩は、小説のように長い文章ではなく、言葉で人の心に切り込むもの」とも述べられました。人間の本質、社会の本質を、短い言葉で貫くもの。それが詩であるし、詩人はそのような言葉を選ぶために徹底的でなければならない、という意味です。現代の詩に、その徹底的な姿勢があるのか?と問うているわけです。

 それは、今の社会がこれだけおかしくなり、すでに戦前、いや戦中の雰囲気を漂わせているのに、そこに正面から向き合い、切り込む詩人が見当たらないジレンマとつながっているように思えます。

 1960年代・70年代、誰におもねることもなく、良いものは良いとして掲載した編集者がいた。機動隊に連行されようとも上演した役者がいた。原稿用紙に日本刀を突き立てて、訪れた編集者の覚悟を試した作家がいた。…そうやって、民主主義を守る防波堤となってきた人たちがかつてはいたが、今はどうだ?、文化・芸術の部分を権力者に牛耳られてしまったら、私たちの民主主義は終わるぞ?…その危機感が、この会の開催につながったのだと思います。

 桑原さんの会は、次回は10月の半ばに、映画の上映会を行う予定だそうです。その予習に役立つ図書をご紹介しておきますね。

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