【小説】 母はしばらく帰りません 26
結局、子宮口が全開になったのは、もう明け方に近い時刻だった。
「頑張ったわね。さあ、赤ちゃんを産みに行きましょう!」
と、おばあちゃん助産婦のコンフォートは、疲れた様子などカケラも見せずに、ニッコリと笑った。
「ああ、やっと? あーもっと寝たいんだけどなあ」
と、輝子は寝ぼけた声をあげた。
陣痛が始まって数時間、痛みを堪えて転がり回り、バランスボールの上で跳ね、おばあちゃん助産婦の助言でお風呂に入り(これは痛みが和らいで良かった)、そしてまたのたうち回りと頑張ったが、子宮口は開かず、ついに、
「ギブアップ! もう楽にして!」
と、麻酔を入れて無痛分娩に切り替えてもらったのだった。
「あー、ドラッグって最高。極楽、極楽」
「ドラッグって、人聞きが悪いなあ。麻酔でしょう?」
と、タマールは眉をひそめた。
「なんだっていいよ。現代医学バンザイ!」
と、輝子は麻酔が入る前とは別人のように安らいだ顔で繰り返していたが、タマールが見守る前で、あっという間に眠ってしまった。
陣痛は勿論のことだが、更に辛かったのは、その合間に訪れる眠気に引き込まれそうになる度、強烈な痛さで無理矢理目を覚まされる、その繰り返しだった。
しかし麻酔のおかげで数時間、ぐっすり眠ることが出来て、体に力が戻って来たのを感じた。
「ふふふ。あなたって楽しい人ね。いいお母さんになるわよ」
と、おばあちゃん助産婦は言った。
面白いことを言う人だな、と思ったが、輝子は何だか妙に嬉しかった。
「付き添いの君も起きてね。さあ、さあ、行きましょう!」
その言葉でうたた寝していたタマールも飛び起き、慌てて荷物をかき集めて、ベッドごと移動される輝子の後に付き従った。
「さ、このお部屋よ。ここで産みましょうね。さあ、どうぞ」
と、おばあちゃん助産婦が言うと、
「あ、じゃあ僕はここで失礼するよ。外の待合室にいるから、テルちゃん頑張って」
と、タマールはそそくさと出て行こうとした。
「ちょっと待てよ!」
輝子はエビのように跳ね起きて、タマールの腕をガッチリとつかんだ。
「ここまで来といて、今更どこに行くつもりだよ? ああ? 私を置いて逃げようなんて、絶対に許さないからな!」
「だ、だめだよ、テルちゃん! もうここまでだよ、だって、だって、これ以上は絶対無理だって!」
と、タマールは悲鳴のような声を上げた。
「ちょっと、暴れてはダメよ? モニターが取れてしまうわ」
と、びっくりするほど呑気な調子でおばあちゃん助産婦が口を挟む。
「行かせないよ。死んでも行かせないからね!」
「テルちゃん! 一生恨むよ」
「こんな時に一人にするなよ! 私だって怖いんだから。死ぬほど怖いんだから、置いて行くなよ。一人で産めなんて言わないでよ!」
「テルちゃあん」
おばあちゃん助産婦が、二人の間に割って入り、優しい仕草で輝子をベッドに寝かせ直し、ついでにタマールの背中をポンポンと叩いた。
「わ、分かったよ。でも、目は閉じているから。怒らないでよ」
「手は、握っていてな」
「握り潰さないでよ」
「約束は、出来ないよ」
それから一時間ほど後、夜明けと同時に女の子が生まれた。