見出し画像

【小説】母はしばらく帰りません 22

そんな慌ただしい中、タマールは気がついたら毎日のように九月家にいて、当然のように母を車で送り迎えし、ダイニングテーブルで課題をしながら、電話を取り次ぎ、台所を片付け、夕ご飯の後に自宅に帰って行った。
 輝子としたら、いつ母が暴言を吐くものかとヒヤヒヤしていたのだ。心配どころか、何も考えていない様子の光太郎は、機会があったら張り倒そうと心に誓った。
 しかし、予想に反して母はおとなしかった。最初は、タマールに色々世話になっているので、仕方なく口を噤んでいるのかと思っていたが、次第にそうではないことが分かって来た。
 タマールか光太郎に送り迎えされて病院に通い、家でみんなでご飯を食べながら、父の様子を話し合い、お風呂に浸かって、早目に眠る。
 そんな毎日の繰り返しが、あまりに自然な日常になっていた。
 そんなある日のこと。夕食を食べて片付けをしたら、家に帰るのがお決まりとなっていたが、その日は無性に暑かったので、勧められてタマールは風呂に入った。けれど光太郎に借りた着替えは、タマールにはつんつるてんで、輝子と光太郎は笑い転げた。

「あーっはっはは! スネ毛が見えまくり! 思った通り毛深いな、タマちゃんは!」

「なんかさ、温泉とか旅館とかに、時々居るよね、こういう外人! 浴衣が超短くって、手足がほとんど出ていてさ」

「あーいるいる! そんで大抵合わせ目が逆でさ、死人になっているんだよな?」
と、遠慮なく笑ってはしゃぐ九月姉弟を、タマールは鷹揚に構えて、黙ったまま薄い笑いを浮かべていた。もしかしたら怒っていたのかも知れない。

 そんな姉弟をさすがに母が叱った。

「ちょっとあなた達、いい加減にしなさいよ。コタローちゃんは、もうちょっとタマちゃんに合う服があるでしょう? これじゃあ窮屈で眠れやしないわ」

「いや、いいです、エラさん。もうこのまま車に乗って、家に帰るだけだから」

「え?」
と、母は心から不思議そうな顔をした。

「タマちゃん、お家に帰るの? どうして? 泊まっていけばいいじゃないの」

「……それは、さすがにダメだと思う」
と、タマールは顔を真っ赤にして俯いた。

「あ、あらあら。そうだったわね。ごめんなさい」
と、母も同じように顔を赤くした。

「あー、笑ったら喉渇いたな」
と、光太郎はさっさとその場を逃げ出したので、どんな顔をしていたのかは分からない。昔、光太郎の部屋に敷いていた布団じゃ、今はもう足がはみ出すだろなあ、なんて輝子は呑気なことを考えていた。

「やだわ。私ったら焦って変なことを言わなかった?」

 タマールが逃げるように帰り、光太郎が風呂に行き、輝子と二人きりになったところで、母が言った。

「母さんが変なのはいつものことだし」
と、輝子は久し振りにくつろいだ気分で、軽口を叩いた。

「何よ、やな子ねえ」

「母さんはさ、もういいの? もう怒っていないの? 嫌だったんでしょ、コタローとタマちゃんのこと」

「……そんなこと、言い出す場合じゃなかったし」
と、母は少し考えるように口を噤んだ。

 父には悪いが、怪我の功名、という言葉が浮かぶ。

「あのね、今でもいい気持ちがしないのよ。コタローちゃんの子供が見れないのかと思うと、ここがギュッと冷たくなるわ」
と、心臓の上に手を置いた。

「タマちゃんにしたってそうよ。小さい頃から家族みたいにして来たんだもの。考えると辛いから、辞めたの、考えることを。少なくとも、今は」

「あー、うん。いいと思うよ」

「それにね、実は私、少しホッとしているのよ」
と、母は声を低くして、ドアが閉まっているのを確認した。

「何が?」

「だって、ほら。二人はその、恋人同士になったのでしょう? 目の前で手をつないだり、チューしたり、ベタベタされたらどうしようかと思っていたのよ! そんなの、さすがにお母さんの心臓が耐えられないわ!」

「オエー。私だってそんなの見たくないよ」

 男同士だろうが、女同士だろうが、身内のイチャイチャは、見るに堪えない。勘弁して欲しいのは、輝子も同じ気持ちだった。

「コタローちゃんか、タマちゃんがお化粧していたり、スカート履いていたりしたら、どうしようって思っていたわ」

「母さん。それは何か勘違いしているから。コタローにもタマちゃんにも、女装趣味はないと思うよ。私が知る限りは」

「こっそり楽しんでいるということね」

 輝子は吹き出しそうになった。

「やめて、母さん! 想像しちゃうから、ホントに」

 転がって笑い出したくなるのを堪えて、輝子は真面目な顔を作った。

「あのさ、彼氏彼女、じゃなくって、彼氏彼氏? とにかく、カップルになったって言ってもさ、あの子たちは根本的な所で、何も変わっていないよ。コタローはコタローで、タマちゃんはタマちゃん。人前でいちゃつくような子達じゃないよ」

「そうね、少なくとも人前ではね。私やご近所さんの前で破廉恥なことをしないでくれるなら、いいわ。今のところはね」

「ハレンチって、母さん……」

「今のところはいいわ」
と、母が繰り返すのが、少し怖かった。

「私はさ、正直コタローがゲイでもバイでも何でもいい。女装趣味も本人が幸せならそれで良し。そして、出来れば母さんとコタローに喧嘩して欲しくない。受け入れろとは言わないけど、もっと、こう、ゆるい気持ちで、色々見ないフリをして欲しいと思っている」

「私だって、あの子には幸せになって欲しいの。ホモでもおかまでも、愛しているもの。私も、大志さんも」

「うん。でもさ、タマちゃんちは違うよね?」

「え?」

「アーラッシュ家のパパは、タマちゃんに男の恋人がいるなんて知ったら、相手がコタローだろうが何だろうが、発狂するよ。間違いなく」

「あ……!」

 エレノアはやっと、娘が何を言わんとしているのか気づいた。

前の話【小説】母はしばらく帰りません 21

次の話【小説】母はしばらく帰りません 23

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?