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「何者かにならなきゃ!」って焦りからの脱出ゲーム

VUCA時代とも言われる近年、キャリアや生き方みたいなところに悩む方も多いのではないかと思います。
まさに自分自身がそうで、たくさんの逡巡を繰り返してきました。

「何者かにならなきゃ!」「みんなが認めてくれる結果を出さなきゃ!」って、どこか心の中でそう思いながら、そしてそういった思いに追いかけ回されて暮していたように思います。

結局、「何者か」になんかなれていないし、たくさんの人が認めてくれるような「結果」も出せてはいないんですが、よく分かりもしない焦りを抱えて暮らす生き方はあまり好ましくないなと思えたこと。
また、そういった生き方から少し距離を取ることが出来た最近までのことを少しまとめてみたいなと思って、このnoteを書いています。

自分の話が中心になってしまい恐縮ではありますが、

○承認欲求をなかなか手放せない人
○憧れ(理想)ー現実のギャップを受容できない人
○人との関係性に悩んでいる人

...なんて人には、身近な話なんじゃないかなとも思うので、どうか暖かく見てもらえると嬉しいです。

■そもそもの始まり

そもそも、「何者かにならなきゃ!」とか「みんなが認めてくれる結果を出さなきゃ!」なんていう感情は、いつどういったタイミングで自分の中にインストールされたんでしょうか。

きっと生まれた頃には無かったものだし、物心のついた頃にもまだ無かったはず。学校に通ったり、いくつかのコミュニティの中で人と触れ合いながら知らぬ間にインストールされていったのではないか?と、そう思いました。

そういった視点で自分のこれまでを振り返ってみると、始まりは恐らく小学生ぐらいのことだったと思います。
その頃の大きい要因を考えてみると…

○人と同じことをすることへの違和感・それが影響した協調性の低さ
○末っ子が故かの承認欲求の強さ

あたりがどうも大きそうだなと思いました。
そうした要因がきっかけとなり、少しずつ自分の中で狂い出していったもの・インストールされていったものがあったように思います。

■「認めてほしい!」vs「認められない…」

人と同じことをすることへの違和感が少なからず自分のどこかにはあって、授業や野球チームでの活動の中で、「なんでそれをしなくちゃいけないの?」と思うことがありました。

しかし、そういったことを口にしたり、みんなと同じことをしないという行動がみられると少しずつ人の輪から外れていくことがありました

それだけならまだ良いのでしょうけど、残念なことに「人に認めてもらいたい!自分を見ててほしい!」という欲求が自分の中にあったのです。

そうしたところから、「周りに認めてほしい!」という理想「全然、周りの人が認めてくれない」という現実のギャップ・対立構造が成り立っていったんだと思います。

■周りから認めてもらえるための手っ取り早い行動

そんな理想と現実のギャップや対立構造の中で、その隙間を手っ取り早く埋めてくれるものがありました。
それは、人の役に立つ・コミュニティにおける「結果」を出すということ。

人の役に立つ行動をする。学校であれば何かしらの行事・野球チームであれば試合において、分かりやすく “プラスな” 貢献するということが重要なんじゃないかと気づいてしまいました。

他者やそのコミュニティの中で貢献を繰り返すと、自分の存在を無視する人は減って、自分はまた人の輪の中に戻っていける。そこに気づいてしまったこと、それを手放せなくなってしまったことが自分の中での大きな変化だったんでしょう。

ちなみに、近年チラホラと耳にする自己肯定感の話でいうと、自分は自己肯定感ではなく、自己効力感を高めることで何とか自分と他者の関係を成り立たせようとしてしまっていたのです。

この自己効力感というのは大切ではあるものの、すごく厄介で、すごく魔力めいたものを持っています。
その凄まじく吸引力をもった魔力から距離を取ることが自分にとってはとても難しいことでした。

■「焦り」をアンインストールするために大切だったこと

最後の方にはなりますが、ここからは自分が「何者かにならなきゃ!」などの焦りから距離を取ることができたのはなぜか?について考えをまとめてみたいと思います。
要因について考えてみるとすると…

○自分と適した人との繋がりを確保する (自分に適したThird Placeと出会う)
○自己肯定感と自己効力感は区別をして、それぞれを育てる
○憧れ-現実のギャップを認識すること・できる限りそれを受容すること

あたりだったのではないかと思います。

まず、個人的に1番大切だと思うのは、適切な人との繋がりです。
そもそも、人の輪から外れていくことへの不安や承認欲求が引き金となり、焦りに駆られていた自分にとっては特に人との繋がりは大切なものでした。
でもそれは自分に限った話ではなく、人間が社会的動物である以上は、誰しもがそうなのではないかと思います。

この適切な人との繋がりが大切であると気づいたのは、学生の頃に学生団体に所属をしてからのこと。また過去だけでなく現在も、運営に携わっているヘルスケアコミュニティSHIPや、在宅医療・ケアプレイヤー向けコミュニティH△T における色んな方との繋がりが自分を豊かにしてくれていると思います。

ちなみに、所属していた学生団体や現在運営しているコミュニティは、いわゆるThird Placeと呼ばれるコミュニティです。Third Placeとは、家でもなく、学校や職場でもない第3の場所という意味。
近年、Third Placeと幸福度の関連性が研究されていたりもするぐらいなので、自分に合ったThird Placeを見つけられると良いですよね。

また人との繋がりを築いていく上で、注意しておきたいというか大切にしておきたいこともあります。それは行動の結果に限らず一緒に居てくれる人であるかどうか。この点がブレていると良い影響に繋がっていかない可能性が高まるので、注意が必要かと思います。

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そういった人との繋がりが担保された中で、自己効力感の魔力に惑わされることなく、自己肯定感も高めていく。それも大切なことだと思っています。

この部分は感覚的なところも多いので短めにしますが、大事だなと思うのは自己肯定感 or 自己効力感の二項対立ではないってことです。
(自分は二項対立の沼に陥り、逡巡を繰り返しました...)

「ありのままの自分を肯定するだけでなく、それなりに達成感を得られる活動も一緒に頑張る」がベストだと思いますし、どちらかだけだとどこか不安定さが残ると思いますので、それぞれを高めていけると良いですね。

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最後の「憧れ(理想)ー現実のギャップを認識すること・それをできる限り受容すること」については、株式会社 刀の森岡 毅さんが著書やテレビ・ネットの企画で話されていた「ナスビはナスビにしかならん!」という言葉から影響を受けています。

この言葉やそれが持つ意味はそれとなく理解できていたものの、とはいえ「憧れている人みたいになりたい!」って思いを手放せずにいました。
その事に関しては、かなり時間はかかりましたが、人と話していたり自己分析を重ねていく中で緩やかに変化が生じていったように思います。

「緩やかに変化が生じていった」という表現の通りで、なかなか一朝一夕では変わらないものだと思うので、「のんびり構える」というのがコツかもしれませんね...(笑)

■おわりに

このnoteでは、自分の振り返りも兼ねて自分の中にあった焦りそれが消えていった過程を言語化してみました。

そこに至るまでの事象や背景は違えど、似たような現象を抱えている人がきっと居るんじゃないかと思いながら書いていた部分もありました。

なので、読んでくれた方にとって何か気づきであったり、改めて内省を深めるきっかけになれていたら最高だなと思います。
それとここまで読んでいただいた方には感謝申し上げます!
ありがとうございました!

おわり。

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