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朗読劇(ろうどくげき)

もの、時、ひと
ときにいろんな衝突がある、問題が発生する
そうしたときに出会いや別れが生じ
続くこともあれば離れることもある
袖振り合うのもなにかの縁、とか
ただのくされ縁でしょう、とかの声がどこか身体の中から漏れてくる

少し前の記事に「朗読劇」のことに触れました
(今回は漆の話はお休みです)
数年前から、生きづらさを抱える親と子どもをモチーフに作り、発表している
子どもたちが実際につぶやいた言葉をつなぎ合わせて物語に仕立てる
親の言葉ももちろん実体験のソレから紡ぎだす
私は子ども役を演じたのだけど、、
毎回作り上げていくときに
本格的に演劇活動している相手と衝突する

私も気持ちや勢いで
「でも」「けどさ」戦う
「あーしたらこうしたら」「そうじゃなくて」
二人の会話に入れないと周りは言う
劇をより良いものにしたくての議論・討論
…楽しい

相手を威嚇し人格をつぶそうとする文化?が蔓延しているいま、
まったく違う土俵で相手と戦うことはできないのかな

演技が始まると途端に空気・気配・目つきが変わる
この瞬間ぞくっとぞわっとする
ある意味、カイカン
一番近くで相手の変化(へんげ)を即座に感じることができる
役者みょうりに尽きる、というやつ?

自分のなかにいろんな人(の想い)が入ってきて
それが勝手に口を介しでてくる

いつしか子ども時代に戻り
当時母親に言えなかった気持ちも重なる
涙があふれてこぼれてね、、鼻水がとまらない

二人だけでは制作はできない
今回は音楽を全編で流そうということになった
20分弱の物語、シーンごとに数日かけて選んだBGMや効果音を
うまいこと設定しポン出ししてくれた、
ナレーターさんふたり絶妙な語り
それぞれがそれぞれの役割を最高のモチベーションで担う

カットの声は夜中
超多忙な人たちがあちこち遠くから駆けつけてくれての制作
笑いながら「遅くなると思っていた」との言葉を残し
真っ暗闇の中を丑三つ時に向け帰っていった

それに応えて徹夜で編集作業だ!

皆が持ち寄ってくれたサンドイッチをつまみながら思った
今こうしている瞬間にこどもたちはどうしているのだろう
うつむいていないだろうか
自分を蔑ろ(ないがしろ)にしていないだろうか

編集終了した旨をグループメールで一斉配信。
やり終えたよー

数日子どもの精神状態が続き、徐々に「自分」に戻った
辛さが少しわかった気がする、スコシダケネ

どうかいきづらさを抱える子どもたちがいなくなる世の中に
社会になりますように

つきうさ


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