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忘れられないカップケーキ


 子供の頃はいろいろな遊びをしたものです。缶蹴り、ケイドロ、野球、サッカー、釣り、テレビゲーム、シール集め。私はどちらかと言うと外遊びよりも家遊びの方が好きでした。

 当時はアパート住まいだったので、友達と言えば同じアパートの住人。しょっちゅう遊びに行っては、自分の家とは違う家具の配置にうっとりしたり、その家の独特の匂いを感じてぼうっとなったり、おやつをごちそうになったり。

 おやつと言えば、とりわけカップケーキを食べたときのことは忘れることができません。友達の家で遊んでいるとおやつの時間になり、テーブルの前に座らされました。そこのお母さんが焼きたてのカップケーキを出してくれたのです。

 その時初めてカップケーキを知りました。「ケーキ」と言いつつもケーキらしくないごつごつとした岩のような見た目に一瞬がっかりしましたが、バターと砂糖の匂いで、これはきっとおいしいおやつに違いないという期待がありました。

 紙カップをはがしてかじりつくと、黄色の生地がやわらかく口の中で崩れます。コゲにはカステラの焼き目のようなほろ苦い味わいがありました。あっという間に自分の分を平らげて気持ちが緩んだところで、ついついこんなことを言ってしまいました。
「このおいしいお菓子、お母さんにもあげたい」

 その言葉を聞いた友達のお母さんは驚いたようでした。そして「何と母親思いの子であろうか」とやたら私に感心して誉めそやしたので私は後悔しまいした。いつも余計な一言を言ってしまうのです。

 決して母親思いであるために言ったわけではありません。事実はその逆で、わがままで甘やかされて育った私は、母親に同じものを作ってもらおうと思ったのです。ですが、今さらお母さんを前に誤解を取り直すことはできませんでした。

 夕方帰る時、カップケーキがてんこ盛りに入った紙袋がお土産として渡されました。手間を惜しむことなく、もう一度最初から生地を作って焼いてくれたに違いありません。受け取った時、子ども心にばつが悪かったのを覚えています。

 今でも不用意なことを言ったな、と思い返します。でも、大人になった私は、やっぱり言ってよかったとも思うのです。たとえ誤解を生んだとしても。あのお母さんはとても喜んでいました。子供の発言で楽しい誤解をすることは、大人にとってのひとつの幸せではないでしょうか。

 今でもあのお母さんが元気にされていて、たまにあのことを思い出して下さるような気がします。

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