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ゼロリスク信仰は、アイデンティティと相反する

説得力ある文章。下記の記事を読んだ感想になります。

https://www.mnhrl.com/corona-jail-2020-4-14/

with coronaな社会において「ゼロリスク信仰」だともう何もできなくなってしまうけど、それでいいの?って問いかけている文章。

ゼロリスクっていうのは、
リスクを確実に回避すること。

交通事故が怖いから外には出ません!とか、爆弾が届くかもしれないからネットショッピングは使いません!とか、こういう極端な例のように「リスク回避し過ぎて何もしない」という選択を揶揄した表現として、ゼロリスクという言葉をここでは使っています。

感染する可能性があるから、家から出ません!みたいなのも全く同じで、結局ゼロリスクな選択をすることは、人間的な活動をしていないのと同じなのでは?という問題提起を記事の筆者は書いています。(これが掲題の「家畜」とリンクしている)

もちろん、感染を拡大させないためにstayhomeでみんな頑張っているし、ぼくも協力しているんですけど、with coronaの社会においては、リスクを伴う行動をしない限りいつまで経っても経済活動も文化活動も発生しないし、リスクをマネジメントする能力がない人たちが自粛警察を買って出るような、アンワーキングな社会を醸成してしまうわけです。(そういうところだけ「一丸となる」んだよな。この国と、大衆は。)

いつまでもリスクを「未知」にしてるから対策が取れないし、動き方が分からないまま機会を逃すし、前進しないんだよ。未知を既知にするためには、インプット&アウトプットしかない。学びとチャレンジ。もちろん、適切なタイミングと行動で。

多くの人の個性や表現が埋もれてしまわないように、クリエイターとして、価値を掘り出し、届ける活動を行ってまいります。ブランドづくりに軸足を置いていますが、メディアでの発信や書籍展開など、活動の場の創出ができるようにも努めてまいりますので、どうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。