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あのとき言えなかった感謝を今伝えたい


極寒のモンゴルに留学した経験がある。

日本の大学が一年間の留学必須の大学だったから、だ。そこで私は経験を選んだ。英語を極めるつもりも、フランス語を極めるつもりもなかった。言語を極めるよりも経験をとった・・・つもりだったのに、いつしか「ちゃんとモンゴル語の授業に出て、ちゃんと文法が出来て、読み書きができて、そこそこに経験して、単位を取って」が『正しさ』に代わっていた。(のちに学ぶ「こちこちマインドセット」ってやつだったみたい)


そこでの軸がブレブレ堕落の一途をたどり、一時帰国した私に、東京で時間を作ってくれたひとがいた。社会人になったばかりの先輩たちだった。会うのは下心があった。そのさきに「シューカツ」を見据えていたからだ。

うまく生きようとしていた。


留学を半年残した冬休み中に、卒業後に行くカイシャが決まってしまえば、一石二鳥だ。なんて「うまい話」だ、やってやろうじゃないか。

今思うと、その先輩の人柄なんてわかろうとしていなかった。

「伊藤忠に入った先輩」

「旭化成に入った先輩」

そんなふうにしか見ていなかった。


紹介の紹介で初めてちゃんと話をした先輩は言った。

「なにかえってきてんねん」


夏、寮についたら水は出ない、お湯なんて出たら奇跡、工事のために授業は遅れる。その通知を知るすべは「噂」。人は信用できない。寮の管理人ですら、私の部屋からこっそりモノを盗んでいく。シャワーノズルは中国人が盗んでいく、トイレの便座は常にない。真冬はマイナス40度。寒いというか痛い。つらい。美しいものなんて、なにもない。

日本に来ていたモンゴル人たちがめちゃくちゃいい奴だったこと、そのさきに遊牧民のキラキラした目と広大な草原と青空に胸を膨らませていったモンゴルで、期待を裏切られたという最大の挫折だった。人も社会も「汚さ」でいっぱいだった。

悪いところしか見えていなかった。


「なにかえってきてんねん」

関西出身の先輩は言った。今度、一人旅で中東を周ったときのことを会社でプレゼンするんだー、と私を前にノートパソコンの画面を見せてくれた。

今思うと、中東の「良いところ」を見ていた先輩。

モンゴルの「悪いところ」しか見えていなかった私。思ったように2つ目の言語が上達しなかったことに、いろんな理由を作っていた私。結果が出なかったことに憤っていた私。モンゴルにいるのに、英語ばかり使ってモンゴル人と関わるのが怖かった私。

正直、あのときは先輩の言葉に、ムッとした。似たようなところがある人の助言は聞けないのかな、なんて思っていた。認めてくれる人にしか会いたくなかった。


立ち直るには、いろんな要素があったけど、あのときの言葉が今になって染みた。

「そんなんじゃだめじゃん」(もう失敗している)

でもなく、

「うまくやりなよ」(てきとーな助言)

でもなく

私のこれからの可能性を見てくれた。まだ終わってないよ、と。


失敗は成功のもと。


モンゴルに戻った私は、残り数か月でかけがえのない人たちに出会う。

ぼったくられないか、いつも怖くて仕方がなかったタクシーを日常会話を練習する場所に位置付ける。スリに会わないようにポケットに手を入れて、転ばないように、事故にあわないように、360度警戒して歩いていたのに、街に出るようになる。気温が上がってきたのも関係あると思う。だけど、マイナス40度と同じくらい下がっていた私のモンゴルに対する好感度も、夏に向かうにつれて、良くなっていった。


そして、ナーダム(夏祭り)の競馬を見た時の感動といったら。


あの時の先輩に、もう一度会えることはないかもしれないけれど、今の思いを伝えたい。あなたの言葉が大きな転換点。


失敗と成功は同じ方向にあるらしい。



Hさん、ありがとうございました。






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