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組織の終わりの始まり。その1

もともと、ひとりで独立開業した私。そのあたりのプロローグ的なお話です。

孤独だったひとり開業時代

あんまり昔話をするのもどうかと思うので、ざっくりと。2003年に勤めていたベンチャー企業をたった1ヶ月で解雇された私は、「もう雇われたくない」というなんともネガティブな理由で独立開業してしまいました。場所は東京都調布市。仕事は行政書士。そして、6畳一間のアパートからのスタートです。まあ、この辺の紆余曲折は、おかぼくに譲ります。

まあ、そんなこんなで大変なこともあったのですが、なんとか行政書士として食えるようになったとき、ブログのアクセス数が全国1位になったこともあって、知名度が全国区になったんです。実力も収入も大してないのに、知名度だけが広がってしまった。結構最初は神奈川県の行政書士と思われていたようです。屋号が横須賀事務所だからね。

キャリアが面白いということと、23歳という若さも相成って、マスコミ掲載が増えていったんです。最初に掲載されたのは枝廣淳子さんの「朝2時起きで、なんでもできる!3」だったのですが(サンマーク出版で取材受けたの、いまでも覚えてる)、徐々にセミナー講師として呼ばれるようになって。その中でも最大のオファーが、当時ニッポン放送を買収するなんてやっていたライブドアという会社。堀江貴文さんが経営者だった会社ですね(ライブドアに講師として呼ばれたなんて話をすると、たいがいの人はすごいね!ってリアクションなのですが、若い社員に話したら「ライブドア」ってなんですか?」って反応でした笑 われわれの年代だと拓殖銀行とかか…)。

ライブドアに講師として呼ばれる

まあ当時のライブドアは、飛ぶ鳥を落とす勢いというか絶大な知名度と話題性を持ってて。そこに呼ばれたわけですから、すごいことです(ライブドア起業塾というプロジェクトで、厳密にはライブドアグループの1企業主催だったのですが、もうそこは「ライブドアに呼ばれた!」でいいだろうと)。テーマはビジネスブログの活用法。

六本木ヒルズでの講演が決まり、そのことを当時書いていたブログに書くと、絶賛・称賛の雨あられ。コメント欄は次々に埋まり、トラックバックされ(懐かしいなー)、アクセスもいつもより多い。でも、自宅兼事務所に帰ったら、当然ひとり。祝杯もあげるもひとり。うーん、嬉しいけどなんだかなあ…という感じでした。

大きな仕事を取ってきたのは間違いない。でもなんだろうこの喜びきれない感じ。当時は、食えない時代をなんとか乗り越え、行政書士としての収入もそれなりに不安がなくなってきた時期でした。

「最強ブログ営業術」の出版が決まる

大きな仕事は同時並行でもうひとつあった。それが出版です。出版をしようと思った理由はまた長いのでどこか別に書きますが、当時、企画のたまご屋さんから出版をしようとエントリーしていたんです。まだ25歳で周りの経営者からは「本を出すなんて早すぎる(生意気だ)」みたいな有り難い言葉をいただいたりしたんですが、私はその頃から「本=成功者が書くもの」という図式は崩れていると思っていて、マーケティング的に出すべきだとか考えていて(本は好きですけどね)。

ライブドアでの講演が決まったのち、出版も決定した。しかも技術評論社という大変立派な出版社で。これも飛び上がるくらい嬉しくて、ブログに書いたらやはり絶賛・称賛の雨あられ。でも、ライブドアでの講演が決まったときと同じく、どうも喜びきれない…一体これは何なんだろう?というもやもやしたものを抱えながら、ライブドアでの講演準備と執筆という仕事に取り掛かりました。

その2に続きます。

横須賀輝尚のフォロー方法(情報取得方法)

私からの情報を取得する方法のまとめです。しばらくは記事の中にリンクしておこうと思います。基本的には士業・法律実務家のためだけに書いてますが、コンサルタント、フリーランスの人もどうぞ。

横須賀輝尚のフォロー方法(情報取得方法)について

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