08_挑戦04_ヘッダ

神影鎧装レツオウガ 第六十三話

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Chapter08 挑戦 04


 サメじみた乱杭歯が唸る。サークル・セイバー。レックウの車体ごと、真正面から迫り来る裁断装置。その異様に、しかし辰巳は動じない。軽く鼻すらならした。
「やっと出したか」
 マリアの方はともかく、風葉《かざは》は今まで攻め手を躊躇していた。決意、あるいは闘志の問題か。分からなくも無いが。
 だが模擬戦の残り時間が三分を切ったのと、あと一撃で敗北決定する状況が、ようやく戦意に火を付けたようだ。
 しかし。
「まだ、隙が多いなっ」
 言い放ち、ハンドガンを投擲する辰巳。
「え」
 目を剥く風葉。銃弾程度ならばともかく、ハンドガンほどの大きさとなると、流石にまずい――かつて転写術式で得たマニュアルの知識が、風葉にそれを悟らせた。
「くっ」
 ほんの少し車体を傾かせ、ハンドガンを切り払う風葉。高速回転刃に晒され、一瞬で霧散する銃型の霊力塊。ダメージ無し。されど、ほんの少し揺らいでしまう車体。
 秒単位。されど、確実に生じる間隙。
「良い反応だな……それだけに、動きが読みやすいッ!」
 踏み込む辰巳。同時に、ヘッドギアの塗料を削り取っていくサークル・セイバー。僅かでも躊躇すれば直撃していたろう。
 どうあれ風葉からすれば、辰巳の姿は車体の影へ消えたように見えた。
「う!? と、にかくっ!」
 体勢を立て直すため、加速して一旦通り過ぎ――る事かなわず、風葉はレックウごといきなり上空へ吹っ飛ばされた。
「うわ、わあっ!? なんでええ!?!?」
 真空中をくるくる回るレックウ。果たして今の一瞬で、何が起こったのか。
「冗談、でしょ」
 少し離れた場所。一部始終を見ていたマリアは、そう呟くだけで精一杯だった。
 結論だけ述べるなら、ごく単純な話だ。
 辰巳は、風葉を投げ飛ばしたのだ。
 それも、相当な重量と加速力があったはずのレックウごと。
 タイミングは、サークル・セイバーが掠めかけたあの時。
 普通のバイクで言うなら、丁度エンジンがある辺りに左手を。フットレストのやや後ろに右手を、辰巳はそれぞれ添えた。
 そして、どうにかして、投げ飛ばしたのだ。
 マリアもある程度の武術を嗜んではいる。だが、それでも今辰巳が見せた一連の動作は、摩訶不思議としか言い様が無かった。
(確かに投げ技ってのは、相手の重心をコントロールするものだけど……!)
 だとしても人型でない、しかも超高速で突っ込んでくる鉄塊を相手に、何をどうすればそんな芸当が出来るのか。
(つくづく、信じられない事をする、けど)
 だとしても隙はある筈。例えば今。レックウを投げ飛ばした残心が決まり切っていない、この瞬間ならば。
「仕掛ける価値は、ある!」
 マリアは指揮棒を振る。リズムに合わせ、二振りの斧が回転。射出。ブーメランさながらの弧を描く刃が、辰巳を挟み込むように強襲。更に一拍おいて、マリアはライフルを乱れ撃つ。
 並の相手ならば、まず撃破出来るだろう飽和攻撃。
 しかし照星の向こうに居るのは、並の相手ではなかった。
「……だから、なんでそんなにも、危なげないのかなあ!」
 思わず愚痴るマリア。無理もない、かすりもしなかったのだ。
 思念誘導される斧は、当たる一秒前に身体を逸らす。休み無く続いている銃撃は、稲妻のような回避運動によってことごとく外れる。いっそ面白いくらいだ。
「想定通りとは言え、ちょっと自信無くなっちゃうなぁ……!」
 それでも斧とライフルを指揮しながら、マリアはじっと待ち続ける。
 ほんの少しで良い。辰巳が、隙を見せる瞬間を。
「く、ぅ」
 五秒、十秒、十五秒。水飴のような瞬間をかき分けるように、マリアは銃を撃ち、斧を操作し続ける。
 だがやはり辰巳はそれを避け、あまつさえじりじりと近付いて来る。
 分が悪すぎたかな――そんな弱気がちらつき始めた矢先、辰巳が小さく跳躍した。
 足下、ぽっかりと空いた直径一メートルほどのクレーター。それを跳び越えたのだ。
「あ」
 マリアは目を見開く。何らかの推進装置がない限り、空中で方向転換する事は出来ない。辰巳がそれを成すためのブーストカートリッジは、先程射出元であるハンドガンごと投擲した。再構成はしていない。
 好機。
「い、まっ!」
 マリアは指揮棒を振るう。左のライフルを呼び寄せる。銃把を握り、霊力を急速充填開始。
 同時に、ライフルを構成していた霊力が解けた。マリアが解いたのだ。針で突かれた風船の如く外装が弾け飛び、土台のワイヤーフレームすら霊力光となって還元されていく。
 まばたきにも見たぬ一瞬で、霊力の塊へと戻るライフルだったもの。辛うじて照星の方向性だけは残っていたそのエネルギーを、マリアは照準。
「貰ったッ! スフォルツァンド・アローッ!」
 真一文字に振り抜かれる指揮棒。それに呼応し、ライフルだった霊力塊は光の矢となって迸った。
 これこそマリアの奥の手、スフォルツァンド・アローだ。武装を構成していた霊力を、巨大な弾丸として再構成速射するのである。
 無論、引き替えとなった霊力武装は消滅してしまう。だがそんなものは霊力が続く限りいくらでも補充出来るし、何より威力と速度は通常弾の比では無い。しかも今回は、術師のマリアが射出直前まで霊力を充填するというオマケつきだ。
 威力も、速度も、最大限まで高まっている。
 そして辰巳は、瞬間的にとはいえ、自由に身動きがとれない。まさに必殺を期した状況と言えよう。
「ほう」
 だが。
 その必殺を目前にしてさえ、なお辰巳は動じない。片眉を吊り上げるのがせいぜいだ。まぁこれ以上の鉄火場を幾度も潜っている上、冥《メイ》の訓練はいつもこれ以上にキツイのだから、さもあらん。
「そこそこいい手だが――」
 丁度その時、右手から襲い来ていた回転斧。必殺の瞬間に気を取られ、マリアがそのままにしていたブーメラン。
 その、高速回転しているはずの柄を、辰巳は苦も無く掴み取る。
「――キミも詰めが、甘いなっ!」
 斧の遠心力。あえて逆らわぬ。重心制御。全身を捻る。竜巻のように投擲。
 進行方向をねじ曲げられた斧は、真正面のスフォルツァンド・アローと衝突。爆発。
 霊力光が飛び散り、またもや辰巳の姿を覆い隠す。
「うっ」
 しまった、と思ったところでもう遅い。こうなれば先程と同様、辰巳はブーストカートリッジを使うだろう。現状、あの凄まじい突貫から逃れる手段はない。ならば迎撃は――。
「――ちょっと、厳しい賭けになる、かな」
 膝を立て、ライフルを構え直すマリア。いずれ霊力光から飛び出すであろう、辰巳を迎撃する構えだ。
 だが、上手く行くのか。先日日乃栄《ひのえ》高校で戦車を狙撃した時とは訳が違う。標的は超高速で突っ込んでくるのだ。
「まるで、早撃ち勝負ね」
 そもそも、正面から来る保証すら無い。だが、それでもマリアは待ち構える。移動速度で劣っている以上、そうする他ないのだ。
 だが、結局その引き金が引かれる事はなかった。
 辰巳の突貫が捉えられなかったから、と言う訳では無い。
 視界の外、もうもうと立ち上る霊力光の更に上。降り注いだ五発の円錐が、更なる爆発と霊力光を撒き散らしたからだ。
「えっ」
 思わず立ち上がってしまうマリア。その驚愕を、横合いから跳び込んで来た通信が塗り潰す。
「乗ってっ!」
 向かって右側、乱舞していた霊力光の手前。連鎖する爆発を背に疾走する二輪とそのライダーの名を、マリアは呟いた。
「レックウ……ファントム5!?」
 ブーストカートリッジ並の速度で疾走していたレックウは、マリアの目前で一瞬だけ減速。
 すぐさまその意図を読み取り、マリアはシート後部へひょいと跳び乗る。
「飛ばすよ! しっかり捕まって!」
「分かってます!」
 マリアは風葉の胴へしっかと腕を回す。直後、風葉はアクセルを全開。正面にそびえる山のようなクレーターの裾をなぞりながら、全速力でその場を離れていく。
「おやおや」
 かくて一人後に残された辰巳は、晴れ行く霊力光の只中で、レックウの後ろ姿を見据えた。
「あと二分切ったワケだが、どうする気なのかね」
 言いつつ、辰巳はハンドガンを再生成した。

 大きく回り込んだクレーター、丁度辰巳が居る反対側。そこでようやく停車したレックウの背から、マリアはひらりと飛び降りた。
「まずは二つ、言っておきたい事があります」
 そして、真正面から風葉を見据えた。
「ん、何?」
「一つ目。ありがとうございます、助けてくれて」
「ん、ん。まぁね」
 恥ずかしそうな、バツが悪そうな。
 頬の代わりにフェイスシールドをかきながら、風葉は目を逸らす。
 そこへ間髪入れず、マリアはもう一本指を立てる。
「二つ目。どうして助けてくれたんですか?」
 何か、奥歯にものが挟まったような表情で、マリアは風葉を見つめる。
 さもあらん。そもそもこの模擬戦が始まった原因は、風葉がマリアを認めなかった事に端を発しているのだから。
「ん……ん。まぁ、ね」
 似たような顔をしながら、風葉もマリアを見据え返す。
 風葉のマリアに対する評価は、先日日乃栄高校で疑念を抱いた時から変わっていない。
 風葉はマリアが気に入らない。ひょっとすると、オーディン・シャドー戦の辰巳以上に気に入らないかもしれない。
 けれども。それ以上に。
「……このままバラバラにやってたら、絶対に勝てないよね」
「それは、まぁ、確かに」
 それを踏まえた上で、風葉は提案する。
「だから、さ。なんていうか……そう、賭けの勝率を上げてみたくない?」


「す、ぅ」
 風葉達が消えていったクレーター。それにあえて背を向けながら、辰巳は全方位を警戒する。
 右手にハンドガン、左手に鉄拳、そして口元には規則正しい呼吸。やや半身になって構えるその出で立ちに、隙や油断は微塵も無い。
「は、ぁ」
 細く息を吐きながら、辰巳はフェイスシールド裏の時計をちらと見る。
 残り時間は一分を切ろうとしている。このままでは辰巳の勝ち――もとい、引き分けになってしまう。
 そうなったらどうするのか。改めて仕切り直すのだろうか。
 そんな結果をあの二人が、特に風葉が納得するだろうか。
「そんな筈は……」
 思わず独りごちる辰巳。直後、視界が少し暗くなる。影が差したのだ。
 そして辰巳は、影の形を良く知っていた。
「……ないよな、やっぱ」
 振り返る。上を見る。
 光を発する中天の地球、背負いながら落下してくる二輪が一台。
 前輪から乱杭歯の円刃を展開させたそのバイクは、まごう事なきレックウだ。クレーター反対斜面をジャンプ台代わりに、最大加速で突っ込んで来たか。
 ライダーの姿は良く見えない。地球光を背負っている事に加え、ハイビームのライトがこちらを容赦なく刺してくる。
 強襲、目眩まし、サークル・セイバー。なるほど悪くはない。だがその程度の組み合わせでは、まだまだ辰巳が対応出来る範囲である。
 故に、風葉は更なる手札を切った。
「行けっ!」
 そう風葉が叫ぶなり、レックウの後ろへ並んでいたらしき円錐が、扇状にぞろりと広がった。ジャンプする直前に弾帯を敷いていたのだろう。
「なんと」
 射出される円錐。片眉を吊り上げる辰巳。そんな芸当が出来たのか、と。
 驚きは、しかし一秒。冥に訓練された辰巳の反射神経は、迷う事無くハンドガンをランチャー弾へ振り上げる。
 照準、射撃、着弾。爆散するランチャー弾の群れ。生じた衝撃と霊力光がレックウを揺らし、サークル・セイバーの乱杭歯が先程以上に揺れる。もはやまともな狙いは付くまい。
 後はさっきと同じように投げ飛ばすか――そんな算段を決めた辰巳の視界に、ようやく風葉の顔が映り込む。
「なんだ?」
 訝しむ辰巳。フェイスシールドの向こう、金色の瞳。小さな笑みが浮かんでいる。
 まだ策があるのか。そう辰巳が警戒するより先に、風葉は叫んだ。
「キューザックさんっ!」
 風葉の背後、シート後部から立ち上がる人影一つ。
 辰巳は察する。身体をしっかりくっつけていた上、ライトの逆光で存在を隠していた訳だ。あるいはこれ見よがしなサークル・セイバーすら視線誘導の一環だったか。
「わかってますっ!」
 どうあれ落下中のバイクの背に立った人影は、更にそのまま高く高く跳躍。術式の補助はもちろんあろう。だがそれを差し引いても見事な身体制動である。辰巳は素直に感嘆した。
「それで。そこから――」
 ――どんな軽業を見せてくれるんだ、ファントム6。その期待へ応えるかの如く、マリアは指揮棒を振るった。
 直後、ずらりと現われたのは二丁のライフルと二振りの斧。再編成されたカルテット・フォーメーション。背後に並べて隠していたのか。そう辰巳が判断すると同時に、マリアは指揮棒を振るう。
「そ、こっ!」
 ライフルが歌う。雨のような弾幕が襲い来る。
 対する辰巳は、動かない。動く必要が無い。マリアの直下、辰巳の頭上。丁度中間地点にいるレックウが、障害物になっているために。 
 十中八九、辰巳が動かぬ事は二人も承知している筈。足止めの牽制だ。
(だから、本命は)
 素早く視線を巡らす。予想通り、ブーメランじみて旋回している二振りの斧が見えた。サークル・ランチャーとライフルで動きを止めつつ、左右の斧とサークル・セイバーによる強襲が彼女らの本命か。
 なるほど、良く出来た連携だ。即席にしては。
 だが、それでも一手足りない。
「す、ぅ」
 呼気を調え、辰巳は三方から迫る刃の軌跡を読む。一秒程度の差であるが、どうやら左の斧が一番早いようだ。
 下段、足下を掬うように迫る回転刃。これを小跳躍でやり過ごし、次いで右を――と視線を向けかけた矢先、ようやく辰巳は気付いた。
 今まさに、自分の真下に回り込んだマリアの斧。その表面が、青く輝いている事に。
 とある術式を構成する幾何学模様を編み込まれた青色は、間違いなくサークル・ランチャーの弾帯であり。
「サークルッ! ランチャァァーッ!」
 叫ぶ風葉、至近距離から射出される霊力の円錐。まっすぐに胸元を狙うランチャー弾に対し、辰巳は今度こそ回避も防御も取れない。
「――お見事」
 直撃。レックウとすれ違うように宙を舞う辰巳。同時に、模擬戦終了を報せるサイレンが鳴り響いた。
「まぁね。私だって、がんばって考えたんだから」
 着地するレックウ。顔をしかめながら、風葉はどうにか制動する。一回、二回。軽くバウンドして衝撃を殺した後、なんとか静かに停車。その傍らへ、優雅にマリアは着地する。
 二人とも息が荒い。ともすれば、あれだけ動いていた辰巳以上に。それだけ神経を張り詰めていたのだ。
「残り、あと、一秒でしたね」
 大きく息をつきながら、マリアは指揮棒を振る。カルテット・フォーメーションが解除され、四つの武器が消える。
「ん」
 頷く風葉。フェイスシールド裏のモニタ内、映りだした巌《いわお》が何か言っている。模擬戦終了に関した何かだろうが、今の風葉は聞く耳を持たない。
「……ん」
 おずおずと、しかし高々と、風葉は手を上げる。それが何を意味するのか、マリアは四秒ほど時間を要した。
「……あ」
 破顔し、同じように手を上げるマリア。
 掲げられた二つの手。その掌が軽く、朗らかに打ち鳴らされる。ハイタッチだ。
 後はもう、堰を切るという言葉の通りであり。
「なんか、ゴメンね。今まで変な事でつっかかっちゃってさ」「いえ、霧宮さんが疑問に思うのも無理はないですよ。もっとうまく説明出来れば良いのですが……色々と、事情が」「ん、いいよいいよ。それより仲直りっていうか、名前の方で呼んでくれない?なんかくすぐったくてさ」「そうですか? じゃあ、敬語も止めさせてもらおうかな。どうにも堅苦しくて――」
 きゃいのきゃいの、と盛り上がる風葉とマリア。止まる気配の無いおしゃべりに、巌は小さく息をつく。
『なーんだかな。というわけで辰巳、二人が落ち着いたら改めて連絡頼むわー』
 途切れるモニタ。途切れる気配を見せないお喋り。着地した片膝姿勢のままでそんな一部始終を眺めていた辰巳は、遂に盛大な溜息と共にあぐらをかいた。
「……勝手にしてくれ」
 見上げた空。相変わらず中天に座している地球だけが、辰巳の苦労を労ってくれた。

◆ ◆ ◆

 同日深夜、日付がそろそろ変わる時間帯。
「~♪」
 遠い遠い昔に古代ギリシャで作られた、しかし歴史の影に埋没してしまった流行り歌。歴史的な価値が非常に高いそれを適当にハミングしながら、冥・ローウェルは天来号の廊下を歩いていた。
 目的地は無論、ファントム・ユニット執務室である。
 通路は大分暗い。いつも点いている天井の照明は現在消えており、壁際の非常灯だけが淡く光っているのみである。
 だが故障では無い。地球から遠く離れた天来号に、昼夜という概念を再現するための配慮である。
「お、やっぱり居たな」
 だから、すこぶる良く見えたのだ。執務室の扉、下の方から漏れている照明の明かりが。
 静かに、冥は扉を押し開く。
「どれ。なにやってんのかなー?」
 廊下と違い、煌々と灯っている天井の照明。それが照らし出す室内に居るのは、たったの一人。
 部屋の最奥、責任者用の大きなデスク。書類が山を成すどころか周囲に散乱し始めている只中で、静かに瞑目している男が一人。
 言うまでも無く、五辻巌である。
「寝てるのか? んなワケないよな、巌」
 肩をすくめ、近付く冥。対する巌は静かに目を開く。
「目を休めてたのさ、瞑想もかねてな」
 いつにない、真剣な双眸。平素のように弛緩した雰囲気など微塵もない、剃刀のような雰囲気。昂ぶっているのだろう。
 まぁ無理からぬ事だ。こうまで巌が張り詰める理由を、冥はもちろん知っている。しかして、それをわざわざ指摘するような無粋はしない。
 ただ、花のように淡く微笑むのみだ。
「それにしても、狙い通り風葉とキューザックくんが仲直りしてくれて良かったな」
「ああ」
「若人特有のすれ違いを正すには、やはり同じ困難に立ち向かわせるのが一番良いと言う事だな」
「ああ」
「的になった辰巳には、少々酷だったかもしれんがね」
「ああ」
「……聞いてるのか?」
「半分」
「ああそう」
 つまらなさそうな顔をする冥だが、巌は気にも留めない。
 二年前、神影鎧装レツオウガによる霊力暴走――プロジェクトISF事件。
 今、巌の思考は、知る限りの全貌を改めてなぞり直しているのだ。
 あの日から、五辻巌は全てを賭けて準備を進めて来た。
 当時はまだ姿すら見えなかった「敵」に、対抗するために。
 その目的を、完膚無きまでに粉砕するために。
「クロス・ザ・ルビコン《賽は投げられた》、か」
 言いつつ、巌は懐から一枚の写真を取り出す。もうすっかりくたくたになってしまったそれは、五辻巌を五辻巌として繋ぎ止めてくれている、楔の一つ。
 小さい印紙の中には、二人の人物が写っている。
 一人は巌。当時無理矢理ファインダー前に引っ張り出された彼の笑顔は、随分と固くぎこちない。ミルクケーキみたいだ、と一緒に映った彼女は言っていた憶えがある。
 その、もう一人。巌の腕を引きながら、太陽のような満面の笑顔でVサインを作っている女性の名を、巌は知っている。とても良く、知っている。
「……ヘルガ。ヘルガ・シグルズソン」
 アリーナ・シグルズソンの姉。かつて背中を預け合った相棒であり、何よりも大切な――大切な、想い人同士だったひとだ。
「これは、最初の一歩だ」
 他の誰でも無い、自分自身に巌は言い聞かせる。
「敵が、グロリアス・グローリィがどう動くかは不明だが……それでも」
 それでも、巌は仕掛ける事を選んだのだ。
 二年前から続く全ての因縁に、決着を付けるために。

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【神影鎧装レツオウガ 人物名鑑】
ヘルガ・シグルズソン

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